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六車奈々、会心の一撃!

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タレント・女優の六車奈々によるエッセイ集。子育てをしながら働く、ハプニングと全力投球な日常をエッセイでお伝えします。
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#モデル

はらぺこ花嫁

仕事の現場で、一度だけキレたことがある。 最初に言っておくが、私は現場で難しいタイプではない。気分屋ではないし、きちんと笑顔でご挨拶もするし、楽しい雰囲気になるように心掛けるし、NG事項だって何ひとつない。多少の腹立つことがあっても、いちいち目くじら立てて怒ったりすることもない。極めて扱い易いタレントのはずだ。 しかしだ。20代前半だったと思う。たった一度だけ、ブチ切れたことがある。16歳から約30年この業界にいて、後にも先にもこの一度だけだ。 その日は、モデルの仕事でブ

奥様はチーズ

モデルの仕事をしていた頃、しょっちゅうお世話になったカメラマンさんがいた。 仮に名前を小山さんとしよう。 小山さんはカメラの技術も素晴らしく、まさに芸術家といったタイプであった。そして何より素晴らしいのは、愛妻家ということだ。 カメラマンの中には、モデルにちょっかいを出そうとする人もいるが、小山さんは全く無い。 「小山さんは、浮気しようと思ったことは無いのですか?」 「無いよ。だって、そういうことをしませんと誓って結婚したんだから、当然でしょ。」 ナント!素晴らしい。

仕事か結婚か、それが問題だ

24歳の私は、売れっ子モデルとして絶好調!大忙しの毎日を送っていた。 そこまでの話は『六車奈々、会心の一撃!~変身~https://note.mu/nana_rokusha/n/n1ab6605ba071』 で記している。 さぁ、いよいよ東京進出だ! 順風満帆な私は、上京を視野に入れ始めた。 そんな矢先、東京でオーディションが入った。やっぱり東京が私を呼んでるのかしらん。 せっかく東京へ行くなら、テレビ局に連れてもらわなきゃ!私は本社の芸能担当マネージャーに連絡をし、ドラ

変身

大学四回生の時、モデルで食べていくと決めた。16歳から始めたモデル業だったが、学生時代は学業と部活中心だったため、実際には月に1〜2本ほどしか仕事をしていなかった。 その間にも、事務所には新人モデルがどんどん入ってくる。新人たちは、最初は先輩の私に低姿勢に接するものの、私に仕事が無いのがわかると、明らかに態度が変わった。 『売れないモデル』。 それが、学生時代の私のポジションだった。 私は悔しかった。 本気でモデルの仕事をしたら、どこまでいけるのか?自分を試してみたかっ

芸能人は歯が命!

「あ!ちょっと待って!他の子も、歯を見せて!」 オーディションへ行くと、私の歯並びを見て、慌てて他のモデルの歯並びを確認する関係者。 この言葉を聞くたびに、私の胸はズキンと痛んだ。と同時に『また今回も、歯並びのせいでオーディション落ちたな。』と、肩を落として家へ帰った。 自分の歯並びが気になったのは、小学三年生の頃。 母の嫁入り道具である三面鏡を開き、覗いてみる。いつもの私だ。少し顔を鏡に近づけて左右の鏡を少し閉じると、自分の横顔が見えた。 歯が出てる。。。 私は、自

トークの恩人

私は人前で話すことが、大の苦手だった。 16歳から始めたモデルの仕事は、人前で話さなくていい。 カメラの前で表現することは大好きだったため、モデル業はやりたいこととやりたくないことがピッタリ一致していた。 そんな私にリポーターの話が持ち上がったのは、大学を卒業してすぐのことだ。グリーンチャンネル『ターフトピックス』リポーターのオーディション依頼。毎週、栗東トレーニングセンターへ取材に行き、レース出走馬のインタビューやリポートをする仕事だ。 人前で話すことが苦手な私は、すぐ

プロフィール写真の正しい選び方

女性の皆さん。 自分が一番カワイイと思う写真を選んでみてください。 選びましたか? では次に、自分が大嫌いな写真を選んでください。 はい。実は、自分が大嫌いな写真。 これこそ、他人には一番カワイイと思われているかもしれません! 私がモデルの仕事を始めたのは、16歳。 モデル事務所では年に一度、新しいモデル帳を作って クライアントに配布する。 従って、モデル帳に載せる写真は非常に重要だ。 一年間の仕事量が決まってくるからだ。 いい写真を載せれば仕事の依頼が増える。 写真がイ