元年収400万円超えの事務職員だった私が農家に嫁いだ過程

東京で、一部上場企業の営業事務をやっていた。給料は毎年上がり、8年目には年収400万円をギリギリ超えた。ただし、それは金銭的には潤ったが、体は悲鳴をあげていた。

もともと、牧場や自然が好きだった。
憧れの男性は、兼業農家をやっている親戚や、兼業農家で育った祖父だった。
真面目で、働き者で、器用。そして優しい。

仕事があるのは良いこと。
そう言い聞かせながらも、毎日遅くまでの残業が当たり前になり、終電で帰る日も増えた。そんな生活が半年ほど続いた時、「農家のお嫁さんになりたいなぁ」と思うようになった。自然が恋しくなったのだろう。

同じ職場の人にそれを言うと、「私だったら嫌だ」と一括された。実家が農家の人には「手伝わなきゃいけないから大変だよ」と。
残念ながら私の意見を肯定してくれる人はなかなかいなかった。

そんな時、張りつめていた心の糸がプツリと切れた。仕事が嫌になってしまったのである。
実家での生活もうまくいっていなかった。
家事をしてくれていた母が入院したのである。
家事は母親任せだった。もともと、家事をろくにしなかった私が、残業を抱えながら 、家事ができるはずがない。父も一緒にいたが、家事は母任せで仕事をする人。私も終電ギリギリの生活でなければ、家事をする余裕があったとは思うが、定時であがれる父が家事をするようになり、不満たらたらで、家でも休息の場はなくなった。
禁煙をやめた。

その頃、唯一の楽しみはスキーだった。
冬の到来が待ち遠しかった。夏場もサマースキーのレッスンに参加し、ほぼほぼ初めてのスキーに備えた。だが、それも、職場では妬まれる種となった。

全てがうまくいかなかった。

そんな時、頭の回転が鈍くなってきた。
些細なミスが多くなり、ミスが増えると膨大になって仕事が返ってきた。ますます疲れた。体が重くなった。
なにもかも嫌になった…。
職場でのランチも、人のことばかり言う相手に付き合うくらいなら、ひとりでボーッとしたかった。
「ひとりでごはん」が私にとって快適だったにもか関わらず、しきりに一緒にと誘う人がいた。その人はスピーカーのような人で、人から情報を仕入れてはみんなに拡散してしまう人で、正直苦手だった。
距離を取りたいのに、追いかけてくる。大嫌いだった。

そんな日々が続き、ある朝出勤できなくなった。
引き継ぎもできないまま、フレックス休暇を1週間とることにした。精神科に受診した。くだされたのは「うつ病」だった。

1週間でなんとか1度復帰したものの、電話一本対応するだけで、疲れてて手が震えた。
職場環境も、あまりよくなかった。結局休職して満了で会社を去ることになった。

そんな時、あるサイトで農業をしている夫から声がかかる。
その後はとんとん拍子に事が運んだ。
彼自身がうつ病になったことがあり、私のうつ病も、彼との出会いでどんどん良くなった。
偏見もない唯一の理解者だった。

最近のニュースで、うつ病は遺伝子に問題が起こり発病する病気で、誰でもなりうるとやっていた。
うつ病とわかって、仕事をしているときに、「どんだけメンタル弱いんだよ!」と頭の後ろから怒鳴られたこともあった。それが苦手だった相手である。パワハラ、モラハラで訴えたが、隠蔽された。

でも、今は夫と知り合えて幸せである。
本当に優しい夫だ。

お金は確かになくなったけど、スキーもできないけど、毎日の生活が自然とともに過ごせている。
のんびり、ゆったり…。

これでよかったと思う。

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