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令和6年文楽地方公演「桂川連理柵」府中芸術劇場 2024年3月

前回の地方公演にて「桂川連理柵」がとてもよかったのでリピートしました。

アラフォー既婚男性が14歳の少女と過ちを犯して心中する、というこのお話、現代の感覚でいうと完全アウトな設定なのですが、それを取っ払って浸れるのが古典の良いところ。とはいえ、この心中事件は江戸時代でもセンセーショナルだったそうで、人形浄瑠璃でお芝居になっただけでなく、歌謡になって流行したそうです。

前回、10月公演で初めて見た時は全く基礎知識なく見て、終盤のドラマチックな浄瑠璃とミステリアスな幕切れにすっかり魅せられました。

今回は2回目だったので、字幕で詞章(ナレーションとセリフと歌詞に当たる『語り』) を追いつつ、物語を盛り上げる三味線の響きを堪能しました。

人形浄瑠璃では様々な心中物がありますが、この演目は男性中心で描かれてるのが特徴的。男性の方は、よくある『女性とのしがらみに苦しむ色男』に使われる「若男」の『かしら』ではなく、「検非違使」という『かしら』を使用しています。若男よりも険しい顔つき。

主人公の長右衛門は、女性と浮き名を流すだけでなく、過去、「岸野」という遊女と桂川で心中しようとして自分だけ死なずに日常に戻った経緯がある男性です。私の中では太宰治のイメージ。陰があります。常に苦悩してます。

お半という少女は過ちの結果、身籠ってしまい、桂川で身を投げると書き置きを残して去っていきます。長右衛門は、「お半は岸野の生まれ変わりで、桂川での心中に導いているのでは」と思い、心中を決意します。

このくだり、違う部屋にいる父親が「なまいだ(南無阿弥陀)」と念仏を唱える声が入ります。

なんとも無常感を感じさせる一瞬。

仏教の説く「因果応報」を思い出させる場面です。

心中しようとして自分だけ生き残り、家族と幸せになるなど許されない…

少女を身ごもらせた罪を償うべき…

そんな解釈もできますし、

来世信仰という、死ぬこと自体が救済でもあった当時からすると、仏が現世から冥土へ導いているようにも思えます。

妻が御百度参りをしているにも関わらず、仏の導きで冥土に旅立つというのは皮肉でもあります。

この場面で「なまいだ(南無阿弥陀)」と念仏を差し込んでくるのは作家の力量ですね。これが入ってくるから物語の深みがぐっと増してきます。凄い。

心中に追い込まれたのは、罰なのか救済なのか…

そんな事を思いながら、道行へ。

道行では、長右衛門がお半を背負いながら登場することでお半の幼さが強調されます。

愛し合う二人がどうしようもなくなって心中する、という雰囲気ではなく、心中未遂の相手の生まれ変わりであるお半が主導していきます。

お半を探す声が聞こえてきて、見つかる前に入水する、というところで三味線が劇的に盛り上げて幕。

とにかく、ドラマチックなんですよね…

そもそもこのお話、実際にあった心中事件をもとに創作されてるわけですが、「長右衛門の心中未遂の過去」「お半は遊女の生まれ変わり」という設定を組み込んで、年の差カップルの心中事件を物語として成立させているわけです。菅専助という作家の力量すごいなぁと。仏教が効果的に使われているのも凄い。

数ある心中物の中で、この話は一二を争うくらい好きです。三味線も素晴らしいし。

というわけで、すっかり堪能しながら帰宅しました。幸せ。

ちなみに、地方公演の恒例、お人形さんとのツーショット写真撮影もしてきました。

玉路さん、玉延さんありがとうございました

やっぱり動くお人形さんを至近距離で見ると可愛い。撮影の前後に「よろしく」「おおきに」って感じで会釈してくれるのも可愛い。

お気に入りの着物で撮影できて良い記念になりました。

▼前回の観劇記録

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