一杯のお茶が、人生を支えてきてくれたんだな
急須でいれた、あたたかいお茶が好き。
子どもたちを学校へ義実家へ送り終えたら、ホッとひと息。
自分のためにお茶を準備する。
妻でもない、母でもない、まっさらな自分に立ち返るために。
お茶のお作法は、いったん置いといて
茶袋をあけて、袋の中に鼻をうずめて、茶葉のにおいを鼻腔に閉じ込める。
香ばしい深い緑の香りを堪能したら、急須の網にパッパッと茶葉をイン。
ティファールでぐつぐつ沸騰させた熱湯を、ゆっくり注ぐ。
コーヒーフィルターにお湯を注ぐように、くるくる、ゆっくりゆっくり。
まっすぐ上に立ち込めてくる湯気の中、お茶の香りに多幸感。
30秒くらい待つ。ガラスの急須だから色で判断。
よし、いい色になった。
器にお茶を注ぐ。
マグカップのときもあれば、耐熱ガラスのときもある。
今日は、なつかしの水玉湯呑みな気分。
器の白に映えて、お茶の緑がキレイ。
湯気があったかい。
目を閉じて楽しむ香りは、まったりふんわり。
思わず顔を仰いで「ふわ〜!」っと声がもれる。
ゴクッ。
待ちきれなくて立ったまま飲んじゃう。
ああ、おいしいな。あったかいな。程よい濃さだ、飲みやすい。
急須でいれるあったかいお茶は最高だ。
このお茶のおいしさを、知らない人もいる
実家では、毎朝必ず急須でお茶をいれて飲んでいた。
緑茶、玄米茶、ほうじ茶がいつも茶筒にそろっている。
朝の気分で、お茶をいれる人が種類を決めて、急須で準備する。
私にとって、当たり前の光景だった。
今でも毎日急須でお茶を飲まないと、そわそわしてしまう。
夫は、急須でお茶をいれたことがない人で。
「ペットボトルのお茶があるのになんで?」と聞く。
「お茶っ葉を捨てるの、めんどくさいでしょ?」とも。
その問いだけで、ただただ驚く。
正気なんだろうか?と言葉が詰まってしまう。
でも、自分の当たり前は、誰かにとっては非日常。
私にとっては、お茶をいれるのはとても大切な毎日の習慣だけども。
おいしいお茶を知らずに生きてきた人もいるんだな、と思い知らされる。
例えば、私はお酒は好きではない。年に数回たしなむ程度だ。
夫は毎日ビールを飲んで晩酌する。うれしそうにプハーッとしている。
残念ながら、私はその楽しさがまったくわからない、わからないのだ。
夫婦で好きなものを共有しあえない、寂しさ。
お互いにそんなことを感じているのだろうか。
好きなものは、好きでいい
急須であったかいお茶をいれて、飲むこと。
毎晩冷たいビールで晩酌すること。
私も、夫も、人生で欠かすことはできないことだ。
誰にだって、自分に立ち返る大切な「儀式」がある。
傍から見たら、めんどくさいことに見えるのかもしれない。
古臭いのかもしれない。
気取っているように見えるのかもしれない。
自分にとって大切なものなら、人からの評価は気にしなくていい。
シンプルに、大事なものは大事にすればいいんだもんな。
さあ、今日もあったかいお茶を飲むためにがんばろう。
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