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「これは、自分の人生なんだ」思い出す15歳の私。 #あの選択をしたから

中学3年生の夏。
自分の人生の軸を握ったと強く感じた瞬間があった。早25年ほども前のことだけれど、あの時のお腹にぐっと力が入ったような感覚は、思い出すと今も私を勇気づけてくれるのだ。

私は小学1年生からピアノを習っていた。ピアノは嫌いではなかったけれど、そこまで夢中になれずあまり積極的に練習していなかった。でも、学校の音楽祭などで伴奏を任せてもらうこともあって、当時の私は、ピアノを「自分のやらなければいけないこと」と捉えていて任務をちゃんと全うしなければと肩に力が入っていた。

中学入学を控えたある日、母とピアノの先生からある話があった。
それは、「将来ピアノの先生になりたければ、音楽科のある高校に進む必要がある。そのためには中学3年間、専門の先生のところに習いに行くことになるがどうするか?」ということだった。当時小学6年生だった私は、まだうまく自分の将来をイメージできなかった。でも、未来を考えた時に朧気ながら心にあったのは、小さい頃から音読が大好きで「いつかアナウンサーになれたらいいなあ」という淡い思いだった。

母に「どうしたい?」と気持ちを聞かれた時に脳裏に浮かんだことは、「みんなきっと、私にピアノの先生になってほしいんだろうな…」という思いだった。そして、自分の気持ちを置いてけぼりにして私は言った。「うん。ピアノの先生になるのに、そこに通う」。

中学生になった私は、もやもやしたものを抱えながら新たなピアノ生活をスタートさせた。音楽科の受験に特化した練習は、私にとって予想通り辛いものとなった。「でも、今さらやりたくないなんて言えない」。そうして私は本当の自分の気持ちに蓋をしたのだ。

そんな生活を送っていたある日、事件が起こった。
我が家のテレビがいきなり壊れて動かなくなったのだ。こともあろうに年末年始のテレビを楽しみたい時に…!兄と一緒に「早くテレビを買って!」と慌てて親に頼んだ。うちの父はちょっと変わった人で、「どうせならテレビがない生活を楽しもう」と言って、結局4カ月くらいテレビなし生活を送った。

テレビがない間は、ラジオが生活の中心になった。最初はテレビが見たい!と騒いでいた兄と私も、段々ラジオを聴くことが当たり前になった。ラジオを聴きながらその日学校で会ったことを話したり、流れる曲をみんなで口ずさんだり、読み上げられるメッセージにあれこれコメントしてみたり…これまでにはなかった家族の空気が生まれた。主にエフエムラジオを聴いていたので、父までもが当時の若者のヒット曲を歌えるようになっていた。それがおもしろくて、何だか同じものを共有できる嬉しさがあった。

このラジオ生活で、私は夢が一気に現実的になった。昔から心にあった「アナウンサーになりたい」という夢。でも、消極的で自信のない子どもだった私は、その夢を誰にも言えなかった。でも、ラジオから聴こえるパーソナリティーやアナウンサーの声を毎日聴いているうちに、「言葉と思いを声で伝える」という夢を自分が本当に実現したい未来として捉えるようになっていた。

テレビを買い替えてからも私はラジオを夢中で聴き続けた。パーソナリティーとリスナーの間に「あなた」と「私」のあたたかな関係を感じるラジオが、とても好きだった。そして、今度は私が「届ける側」になりたいと強く思った。夢への思いがどんどん強くなると、ピアノの練習がますますしんどくなり、いよいよ本当の自分を隠し切れなくなってきた。でも、「こんなに時間もお金もかけてもらっているのに」「今言ったら大好きなお母さんを悲しませてしまう」そんな思いが頭をもたげては口をつぐんだ。

そんな私にきっかけが訪れた。
それは、学校から配られた三者面談のお知らせだった。中学3年生だったので、時期的に必ず進路の話になる。お知らせの紙を見た時、私は覚悟を決めた。「これ以上自分の気持ちに嘘をついたら、私は絶対に後悔する」。

三者面談の紙を持ちながら母が帰宅するのを待ち構えた。そして私は、泣きながらやっとの思いで自分の気持ちを伝えたのだ。
「私、ピアノの先生じゃなくて、アナウンサーになりたい」。しゃくりあげながら伝えたあの言葉は、魂の叫びだったと思う。

打ち明けられた母はびっくりしながらもこう言った。「そうだったんだ。じゃあ、随分長い間辛かったね」。私はその言葉を聞いて母の胸に飛び込み、小さい子みたいに泣きじゃくった。当時、工場で働いていた母の仕事着からは少し油の匂いがして、そのすべてが私をまるごと受け止めてくれたような気がした。
その後、私は音楽科ではなく、志望校を変えて普通科に進学し、のびのびと高校生活を送った。

時を経て、紆余曲折ありながらも私はアナウンサー・パーソナリティーとしての道を進むことができた。今は形を変えて、ナレーターとしての道を歩んでいる。思い返すと、あの時の「自分の気持ちにこれ以上嘘はつかない」と思った強い気持ちが夢へと導いてくれた。そして不可欠だったのは、その気持ちを優しく受け入れてくれた母の存在だった。

ライフステージが変わる度、「これからどうしていこう」「私はどうしたいんだろう」と考える時期がある。これからもきっと度々あるだろう。そんな時に勇気をくれるのが、中学3年生の私の選択だ。迷った時に感覚として思い出すのは、「これは、自分の人生なんだ」とお腹に力がぐっと入るあの感覚。15歳の自分に「未来で待っているよ」と笑顔で言える自分でいたい。


【このエッセイを朗読しています】良かったら^^






#あの選択をしたから

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