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4月の聴覚過敏


「子供にとって正しいことかどうかなんて分かる人いるんでしょうか。子供のために子供をつくった人に僕は会ったことがありません」

NHKドラマ『幸運なひと』より

これはドラマ『幸運なひと』のワンシーンで夫が余命半年の肺がんと告げられて、その夫婦が子供を持つことを決断し医師に産むことを伝えたときの場面。「子供にとって正しいか分からないけど」と妻の咲良(多部未華子さん)が言ったときに医師が返した台詞です。

「子供のために子供をつくる親はいない」

幾つかのビー玉が底の辺りで見事に弾け散った感覚とでも言えばいいのでしょうか。子供をつくること授かることは誰であっても正しいかどうかなんて分かる人はいないのですから、これから子供を授かりたいという夫婦の思いは誰のために産むのかと言われたら、それは自分達のため。それでいいんじゃないんですか、それ以外にはないんだから至極当然のことですよと言ってもらえた気がしました。

4月のこの時期に早い段階で学校側と話し合いの場を持てると、お互いの考えを見せ合えてすり合わせがしやすくていい。その思いから、息子が学校に上がってからは、先生早速ですがと息子のあれやこれを話すようにしている。それは恒例行事みたいなものになっていて、4月とはわたしにとってそういう季節になった。そこから修整が必要なときにはどうしていこうとか、少し様子をみてみようとかを考えて、とりあえず頭の中で一区切りがついてお疲れさまでしたね、わたし。となったときにまた4月がやってきたんだなあと思い耽る。

この子は大きな音に過敏で、とくに怒鳴り声というのは身が引き千切られるのと同じなので、大袈裟ではなくて、身体的だけでなく精神的にもグッタリとして参ってしまいます。声を荒げずに、こうしましょうと伝えていただけると本人にもよく伝わります。

息子の聴覚過敏がどれほどつらいものなのか、正直に言えばわたしには分からない。だから息子が訴えてくることがその全て。そういうものなのだからそうなの、と小難しい脳の構造を伝えてくる医師の話を混ぜ合わせたりして、そうやってこねくり回して声にしたのが「参ってしまうから」なのだけど、これ以上の説明はどうしようもない。分かってもらうしかない。わたしだって知らんがな、としか言いようがない。ただ、息子を近くで見てきたわたしはその感覚というのが、その一瞬で息子の脳みそを蝕んで、もうイヤだツラいその場から逃げたいといった感情を強烈に与えてしまう厄介極まりないものという認識でいる。それだからなのか、なんとか回避できないものかという思考を一年中抱えていて頭の隅にいつも陣取っているから少々よく疲れる。だけどもし、もしも息子が普通学級に問題なく通える子だったら4月だからと親子で不安になって焦ったりはしないんだろうし、声がどうだとかそんな話はしていないんじゃないの。そういう子は先生にお願いしなくてもそれなりにうまく立ち回ったりするんだろうけど、よその話を持ち込んで比べてもねえと思いながら、それでもまぁまぁしんどい。息子がわたしの腹から出てきたばっかりに人と違う感覚を持って誕生したのだとしたら、さらにしんどい。「お前が産んだんだろ」と見ず知らずの人に踏み込まれるのは、もっとしんどい。

そういう鬱屈した心情を、子供を授かることに正しいかどうかの判断などできる人なんていないでしょうと、山中崇さんが医師役の立場から仰っていたから、もうそのまんま素直にそうですよねと受け取ることにしました。4月はいろいろな感情が渦を巻くけれど、すたらないでいられれば充分です。だってしょうがないです、4月ですから。



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