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コーラのお裾分け

日曜日のある日のこと、息子が買い物に出掛けるというので、気をつけてねと言って送り出した。

乗れるようになるまであんなに苦労した自転車だったのに、今ではハンドル操作も上手になってサドルに跨りペダルを漕ぐ姿は見違えるよう。ゆっくりペダルを漕いでいき、後ろ姿が角を曲がるまで見送った。

40分くらい経ったとき、玄関のチャイムが鳴ってインターホンのカメラには息子が映っていた。おかえりと言って迎えいれると、嬉しそうな様子でお目当てのゲームカードとコーラを一本わたしに見せてきた。

「コーラ買ってきたよ、一緒に飲もう」

コーラ代はわたしの財布からは出していないので、息子の奢りということになる。

「お母さんももらっていいの?」

息子はいいよと言って、手を洗いに洗面台へ向かった。息子がわざわざ自分で買いに行き、自分のお金で買ってきたコーラ。それをわたしにもくれるという。

何処で買ってきたのかと尋ねたらコンビニだと言って、息子は2つのグラスに同じだけ注いだコーラの片方を美味しそうに飲んだ。


息子の初めてのおつかいは小学校3年のとき。それまでにも、わたしが付き添ってレジの支払いの練習をしたことは何度かあった。お金を財布から出してトレーに置くこともできていたし、お釣りを受け取ることもできていた。けれど、お金の受け渡しの最中に他に目がいってしまうので、わたしが側にいて声をかけるようにしていた。来月発売のゲームソフトのポスターだとか、お店のカウンター内に置かれたおもちゃなど、どうしてもそれらが目に入り気が散ってしまう。お釣りを受け取りながらもお釣りを見ていないので、しっかりと受け取ることができず小銭が指から落ちていた。

コンビニでも好きなお菓子を買ってみようと買い物練習をしたことがあったのだけど、どうやってもお釣りが息子の手から転がっていく。後ろに並んでいる人もいて、レジのお兄ちゃんの顔も曇り始め、わたしは床に落ちたお釣りをそそくさと拾いコンビニを後にした。

学校でも買い物学習をしていたので、そろそろ一人で実践できるといいのだけどなと思っていた。そんな時だった。

わたしが家を空けていた日、夫と息子が2人で留守番をしていたのだけど、わたしが帰ると夫がこう言ったのだ。

「一人でコンビニに行かせたら、行って帰って来れたよ」

夫が渡した500円で、のり塩のポテトチップとコーラを買ってきたという。わたしはビックリしてしまった。

コンビニまでの道順は覚えていたのだろうか、途中に細い道があるけれど車にはねられなかっただろうか、お金のやり取りはうまくいっただろうか。何から何までどうだったのか気になって仕方ない。

途中までついていったことを夫から聞いて少し安心したのだけど、それでもまだ早かったんじゃないかとわたしは愚痴をこぼした。

「心配な気持ちはわかるけど、背中を押すことも大切だよ」

夫に言われて口をつぐんだ。そのコンビニは既に練習していたお店だったし、一人で帰ったその道も普段からよく通る道だった。店で買い物をすることは、息子が身につけなければいけない社会性。それができる段階になっていた。夫の考えは正しかった。

それでも、幼児期には車道に飛び出し車に轢かれそうになったことが幾つもあって、わたしの脳裏に焼きついていて離れない。そのときから時は経過しているのだが未だ不注意な部分もあったので、一人で外を歩かせることは危険なことだとわたしの脳が判断してしまうのだ。

だけどこれは成長の一歩。わたしの不安な気持ちで息子の邪魔をしてはいけない。買い物ができたということは息子にとって成功体験になったということ。

「一人で買い物に行けたんだって?頑張ったね」

息子はわたしに褒められて嬉しそうに笑った。ドキドキしたけど頑張ったよ、その声は軽やかで弾んでいた。

息子と半分にしたコーラを飲みながら、息子が一人で買い物できた日のことを思い出していた。こうやって息子にお裾分けしてもらえる日がくるなんて。

「このコーラは特別に美味しい味がする」

わたしの言葉に息子が笑っていた。


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