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挨拶をありがとうへ告白「興味関心」

あれはプラスチックゴミの収集日で、これから始まる猛暑を予感させるような初夏の日だった。朝からとにかく蒸し暑くて、人に会えば「暑いですね」と、それを挨拶代わりにして交わしていたのが今年の夏の始まり。今更ここで振り返るまでもなく、この夏はとにかく酷暑でした。

それはまだ朝のごみ捨ての時間だと言うのに、既に太陽は燦々と照りつけていた日。わたしは45リットルの透明ゴミ袋いっぱいに詰め込んだプラごみを片手に、ゴミ捨て場へ向かった。おはようございますと声をかけたのは、顔見知りの近所の方が丁度プラごみを捨てているところだったから。たまたまゴミ捨てのタイミングが合い、言葉を交わした。たまたま。

わたしの声に気づいたその男性も、ほぼ同時に挨拶を返してきた。

「今日も暑いですね」「本当に暑いですね」

互いに会釈し部屋に戻ろうとしたその時に、わたしはその人に呼び止められて足を止めた。なんだろうと体をその人の方へ向け、次に発せられる言葉を待った。少しだけ身構える。わたしの心を知ってか知らずか、その人は口を開いてこう続けたのだった。

「先週のことなんですが、息子さんがわたしを見て元気に挨拶してくれたんですよ」

とてもハッキリとした大きな声で元気に挨拶してくれたのが嬉しかった、しっかりしていらっしゃると息子を称賛してくれたのだった。

なるほど、そういう話だったのか。

「そうだったんですね、そう言っていただけて嬉しいです。息子にも伝えておきます」

さっきよりも少しだけ深く頭を下げて、ありがとうございますと付け加えた。

けれど、その人の話には続きがあった。

「こんな老人に挨拶してくれるなんて嬉しいんです、若い人はあんまりしてくれないですからね」

場の温度が二度下がった気がした。引きつった顔がすぐには戻らず、なんとも言えない空気が漂う。たった今息子を褒められ晴れやかになった気分は、瞬時にどこかへ消えていった。跡形もない。

「挨拶をしてくれてありがとう」

その人はそう言って去って行った。グレーの頭を綺麗に整えた物腰の柔らかいその男性は、たしかに若いとは言えないのだけど、それを凌駕する品の良さを備えていらした。わたしは自分自身をこんな老人と卑下するその人の、姿勢の良い背中を見送って部屋に戻った。

「老人に挨拶してくれてありがとう」

頭にこびりついて離れない。


息子が学校から帰ってきた。手洗いうがいを済ませた息子は戸棚からスナック菓子を出してきて、冷えた麦茶を片手にムシャムシャと頬張りだした。とんがりコーンを食べ終わると、当然のようにアイスに手を伸ばす。見ていて気持ちがいいほどに口に入っていくおやつは、あっという間になくなった。とりあえず腹は落ち着いたようだった。ねぇねぇ、と切り出してみた。

「先週さ、高木さんに挨拶した?この通りに住んでる人」

息子は顔色一つ変えずに即答した。

「してない」

会話が止まった。そんなわけはない。挨拶してくれて嬉しかったと、高木さんはわたしに確かに言ったのだから。

わたしはその日の朝に高木さんから言われたことを息子に話した。気持ちのいい挨拶だったと、高木さんはとても喜んでいたしお母さんも褒められて嬉しかったと言ってみた。それなのに、誰の話だ知らないぞと首を傾げるのだから話が進まなくなった。よくよく聞いてみると、息子は高木さんを知らなかった。挨拶はしたのかもしれないが、その人の名が高木さんということも知らないし、挨拶したかどうかも覚えていないと言う。道で会ったから挨拶した、それだけだった。一瞬にして魂が喪失。そうだった、そうなのだ。わたしがこの通りの人に会ったときには必ず挨拶するようにと、以前からいい続けてきたのだった。息子はそれを忠実に守っていただけ。

「顔とか覚えてないよね、特別話したりしないもんね」

覚えてるわけないと、息子は自信たっぷりに言うのだった。


以前こんなことがあった。学校で保護者会があった時、一人の先生がわたしに近づいてきて学校での出来事を話してくれたことがあった。その先生が言うには、その日息子といろいろな話をしたので仲良くなれたとのこと。先生曰く、好きなアニメが一緒だから共通の話題ができたとか。帰ったら本人に聞いてみてほしいと仰るので、帰宅早々素直な心で息子に尋ねてみた。今日、深澤先生とアニメの話をして仲良くなったんでしょう?ほらあのメガネかけてる先生、先生言ってたよ。それは多分どこの家にもあるような、なんてことない会話になるはずだった。そこへわたしの言葉に息子が被せて言ってきた。

「あの先生、今日は学校休みだった」

耳を疑った。

そんなはずはない、わたしはさっきまで深澤先生と話していたのだ。「へぇそうなんだ」喉のどこを通ったのかよく分からない、弱々としてよそよそしい声をひねり出した。その話はそれで終わりになった。


息子と一つ屋根の下で過ごしていると、こういうことがよく起こる。自分の好きなゲームの話ができる人、自分の好きなテレビやアニメの話をする人なんかには格段に関心を寄せるのだけど、それは自らが興味を持って話したい聞きたいと思う共通の話題を持つ人。自分がそのときプレイしているゲームの攻略法を教えてくれる人なんかは、ピラミッドでいうところの頂点に位置する。そこまではいかないけれど、自分に有益な情報をくれる人は他の人よりも興味を示す。そして、これは大嫌いな人にも当てはまる。なぜ叱られているのか納得できないことで怒られたり、勝手なルールを一方的に決めつけられたりすると嫌悪感からその人を憎む対象にすることもある。指示がぶれて一貫性がなかったり矛盾していたり、圧力で抑え込んできたり、決められたルールを守らない人などは関心事の頂点に押し上げられる。夜に眠れなくなるほどに。

息子の世界ではこの好きと嫌いに位置する人間と、それ以外の人間というふうに分けられていて、それ以外の人間の行動にはあまり関心を寄せることができていない。息子とアニメの話をして仲良くなったと言った深澤先生は、息子が見ているアニメの幾つかあるうちの一つが同じだっただけで、この先生に関心を向けるほどには息子にとって魅力を感じなかった、おそらく。そればかりか、その日の先生そのものが記憶からスッポリ抹消されて「休みだった」と言っているのだから、深澤先生という人は息子のなかでは興味関心が低い位置にいる人。好きでも嫌いでもなく、会話したことが記憶に残らない関心の対象外のところにいる人だ。これはゴミ捨て場で会った近所の男性にも同じことが言える。誰が悪いとかそういう話ではなくて、発達障害の人にある興味関心の幅が狭い範囲に限られやすいという、特性が表出しているところなんだろうと感じる。


自分の子が元気に挨拶して、ご近所さんから褒められることは親としてとても嬉しい。そうやって息子の成長を見てもらえることに、ありがとうと思う。例えばそれが、近隣の人には挨拶するという我が家ルールに従っただけであっても、わたしは褒められれば嬉しいし顔がほころぶ。そういうとき、照れ臭さとその裏にある後ろめたい複雑な心中がどうやっても混じり合ってしまい、どうしようもないのだ。若い人はあんまり挨拶してくれないと言って息子を褒めてくれたあの人には、なんとも決まりが悪い。自分から挨拶しているのに、まさかあなたが誰かは知らないし、挨拶を交わしたことさえ記憶に残っていないことを、あの人はきっと知らない。だからわたしはそのことを心の後ろにそっと隠して、ちょっぴり照れたりもしながら謙遜したりする。ちゃんと挨拶してて安心しました良かったです、そんな会話をしながら笑顔を装う。誰にも見えないところでは「しょうがない」と「申し訳ない」の狭間にいることを誰にも知られないように、そっと隠して。



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