4歳の伴走と泣き顔
息子の運動会で泣いた。
先生の肩に斜め掛けされたタスキのような絵カードが、走るたびに宙に舞うのを見て泣いた。
子供の運動会なのに先生が走るのを見て泣く親なんて、どうかしてると思われるかもしれない。生まれて初めての運動会で、息子は息子なりに頑張ってくれた。それは本当に思ってる。けれど先生は、言知れないプレッシャーがあったはずだった。次にどんな行動をするか不可解な子の傍らで、片時も離れずに伴走してくれた先生は、あの日誰よりも輝いて見えた。
◇
発語はあるけど単語だけで、語彙も片手で数えられるくらい。誰かに話すわけじゃなく、見たものを口からボソッと出す感じ。それもごくたまに。会話はなくて視線も合わない。それが4歳の息子だった。
正面で両手を広げても、方向を変えて直角に体を折って消えていく。わたしを親だと認知していたのかも薄っすら怪しい。わたしと息子を繋いでいたのは愛情とか絆とかそういうフワッとした目に見えないものじゃなくて、絵カードという形あるものだった。
息子は1歳半健診の時に、発達の遅れを疑われた。何かの間違いであればいいのにと願ったけれど、2歳で自閉症スペクトラムの診断がついて神様を恨んだ。
その後療育に通うようになって絵カードと出会い、生活に取り入れるようになっていった。積極的に使うようになったのは、4歳の誕生日を迎えた頃からだ。一日のスケジュールをイラストにして順番に並べると、目の端でチラッと覗くことがあって、そんな些細なことでも嬉しくて叫びそうになった。ラミネートしてカードの後ろにマグネットをつけて冷蔵庫に貼って、「今日は買い物に行くよ~」とイラストを指さして言うと知らん顔することもあったけど、見てくれることも増えていった。
自転車に乗る、レインウェアを着る、鼻水を拭く。スケジュール用以外の絵カードもどんどん増えていき、それがわたしと息子を結びつける「会話」になっていった。
自分の子供なのにどう接したらいいか困っていたけれど、療育を受けるようになって知ることができた。息子が目を開けている間に起こる、日常のごくありふれたことでも、この子にとっては次に何が起きるか恐ろしくて不安なんだということ。「見通しを持たせること」それが何よりの安心に繋がるのだと療育の先生は言っていた。
運動会でも絵カードを使った。作ってくれたのはいつも息子を見てくれているカナコ先生だった。にこにこした男の子が走ったり、手を繋いで輪になったり、玉入れをしている絵が描かれていて、どれも可愛らしい。余談なのだけど、懐かしくて今でも大事にとってある。
運動会当日は気持ちのいい秋晴れだった。
明け方まで眠れず、朝からラスボス級の不安が襲ってきて始まる前から体が震えた。わたしと夫はシートの上で二人して黙りこくっていた。完全に祭りの空気にのまれていた。これから何を見せられるのか恐ろしくてたまらない。そうとは知らないハレの舞台を楽しみにしてきた者達が、私たちの両隣に場所をとり楽しそうに談笑していた。隣まで30センチの距離にして、通夜と結婚式ほどの温度差がある。これをどう解釈すればいいのだろうか。今すぐにでも帰りたい。
プログラムが進んでいって次は息子が出る「かけっこ」になった時、青白い顔をしながら待機場所に様子を伺いに行った。わたしに気づいてくれた先生が、ここにいますよと視線を下に落とした先に息子はいた。息子はカナコ先生の足元に腰を据え、園庭のアリの巣に躊躇なく人差し指を突き刺していた。出入口を塞がれたアリ達が慌てて巣から出てくるのをじっと見ている。それの何がそんなに面白いのか。こっちは息子がかけっこで走ってくれるのか、そればかりが気になってしょうがない。
トントン拍子に順番が迫る。緊張でお腹が痛い。前列の子達が走り出す。ああやばい、次だ。息子はまだアリの巣に夢中だ。そろそろ終わりにしてもらおうと、息子に声をかけようとした時だった。
「お母さんまだ早いです」
「えっ」
カナコ先生に止められた。
先生は息子にかけっこの絵カードを見せていた。息子と一緒に走る子達はスタートラインに立っている。可愛く構えた拳が今にも走り出しそうだ。
位置について、と合図があったが位置につかない。
よーい、の合図でやっと息子がアリの巣から目を離した。
どん、の合図でみんなが走り出す。
息子も遅れて「どん」で走ったと思った。
走った、と思った、
息子は、いた。スタートラインに立っていた。
走らずにスタートラインに一人で突っ立っていた。
わたしの体温が2度下がった。
カナコ先生が息子のお尻を後ろから軽く押したら振り向いて、その横を先生がゆっくり走る真似をした。それに釣られて息子も走りだした。
やっと走ったと思ったら、今度は右にコースアウトしていく。なぜだ。そっちは保護者の観覧席なのに。
わたしの体温が5度上がった。
もうおしまいだと思ったら旋回して戻ってきた。園庭で走っているのは息子だけで、会場は我が子のゴール待ちの状態だった。なんとかゴール付近まで近づくと、息子の体は係りの先生に吸い寄せられて見えなくなった。そして息子の長いかけっこが終わった。
次の出番はクラスの皆で大きな輪っかになったり離れたりする種目で、息子の左手とカナコ先生の右手が離れることはなかった。かけっこの時にも揺れていた紐に通した絵カードが、先生の動きに合わせてさっきよりも大きく風に舞っていた。
最後の玉入れは無理させることなく見合わせた。そして初めての運動会が終わった。
先生に挨拶に行くと、「今日がんばりましたね」と何度も息子を褒めてくれた。けれどわたしは知っている。その日一番頑張っていたのは、誰がどう見てもカナコ先生だった。
気が張っていましたと、少し肩の荷を下ろした先生は、練習の時から絵カードを使ってくれていたことや、当日は部屋に戻る時間がないのでカードをタスキ掛けにしていつでも見れるようにしたことなどを話してくれた。
また、息子はじっとして待つことが難しいので、かけっこの時、「位置についてよーい」までは座らせておくことを事前に決めていたのだと教えてくれた。
「絵カードがあって良かったです」
それを聞いて体の力が抜けていった。息子の「会話」を理解してくれる人が、また一人増えたのだ。園の先生は誰一人療育の専門家ではなかったけれど、子供の性格を見極めたり子供を惹きつける力はやはりプロだった。その子がどんな子かよく観察されていて、親への連絡は欠かさなかった。手がかかるわたしの育児にもじっと耳を傾けて、知恵を絞ってくれていた。前例のない「絵カードタスキ掛け」に挑戦してくれたのも、熟考の末のことだろう。重なり合った幾つもの優しさが、言葉にならないほど嬉しかった。
翌年になり、年中クラスになった年の運動会が近づいてきた。今度は自分でイラストを描こうと、今年も絵カードを用意したいのですがと先生のところへ相談に行った。そうしたら、
「もう作ってありますよ」
そう言ってカナコ先生が満面の笑みでわたしの前にカードを並べてくれた。こんな感じでどうでしょうと先生が競技の説明をしてくれる姿に呆然となり、自然と涙がボロボロ流れてきた。
「私ができることはやりますからね、お母さん」
そう言ってくれたカナコ先生の両目にも、涙が溢れていた。運動会の準備をしていた他の先生達が、こちらに気づいて温かい眼差しを送ってくれていた。泣き腫らした顔を正面に向けると、カナコ先生と目が合った。
先生は照れたように笑って、そして泣いていた。