ヒ・イズル・クニで
こちらに参加してきました。
実は私、過去に「出エジプト!!」を地でやっていた割に、イスラエルという地にはあまりご縁を感じていません。最近になって「今起きている状況を正しく理解するためにはこの辺りの歴史を知る必要がある」と必要に迫られてようやく少し調べた程度です。
なので初めは及び腰だったのですが、帰国後の久保田さんの投稿から纏う空氣や発信がガラリと変わっているのを感じ「そのエネルギーを浴びたい」と思ったのが参加の決めてでした。
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道中の強い日差しと暑さに、眼瞼けいれんと軽い熱中症の症状が出てフラフラしながら到着。火のエネルギー強すぎる🥵
時間があまりなかったので珈琲だけにしようと思っていましたが『アフォガード』の文字を見てフリーズ。「アホ…?」と呟いて我に返りました^_^;
故に?カレーで脳ミソに栄養補給♡
珈琲だけだと脱水を助長するしね。
レモンの苦みとパクチーの香りでちょっと生き返り、いざお話会へ!!
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集まっていたのはすごーーく久しぶりの方や初めましての方、「どこかでお会いしませんでした?」な方、2度目まして?の方、生後半年の赤ちゃんという面々。
前半は自己紹介とイスラエルに行くまでの流れを話されていましたが、これは“一言で言うと”「面白かった」です。
何度かお会いした久保田さんは柔らかい笑顔が印象的な方でしたが、同じ位かそれ以上にストイックなイメージが強い方でした。
たくさんの苦悩と向き合って来られたこともひしひしと感じたのですが、自分に正直になってからの流れとそのコントラストが鮮やかすぎて、溺れかけていた人が急にサーフボードに立って笑顔で波を乗りこなし始めた。。みたいな(伝わるかなー?)奇想天外な?お話もたくさんで、笑いに溢れた時間でした。
年上の男性に対して失礼かもしれませんが、“これが本来の御本人なのだろうな”という天真爛漫さに、私まで嬉しいような、羨ましいような、眩しいような…やっぱり“嬉しい”が一番しっくりくるかな?そんな氣持ちになりました。
靈を生きているとそうなるんだよね(*^^*)
その感覚を思い出し、
私もこんなふうになりたいのだろうなぁ…
何故か他者目線?ですが、そんな風に思いました。
後半のメインはマサダ(要塞)のお話と、帰国時に田園風景を見て目頭が熱くなったこと。
その解説はコチラ↓
本当だ…
全部叶ってる。
そしてここ何年、確認作業はもう十分したなぁ。
(ここは当事者目線?)
上手く言葉には出来ませんが、それぞれの靈に共鳴するものがあり、この場にいる全員が時を超えて繋がっているような…そんな一体感を感じる時間でした。
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私が帰る場所『日本』について。
お話会後の雑談の中で少しだけ宗教間の対立について触れていたのですが、「でもそれぞれの宗教は元を辿れば同じで、実は真理は同じなんだよね…」という言葉を聞いたとき、不意に“あぁそうか…”と思ったことがありました。
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以下の写真はエジプトのシナイ山
私が“出エジプト”を決めた場所です。
2009年1月 🌕
ここからの朝日を見るために、何百千の人が真夜中に麓に集まって頂上を目指して登って行きます。
はじめに書いたように私はユダヤやイスラエルの歴史に詳しくないし、日ユ同祖論には少し苦手意識を持っています。
※説を否定しているのではなく、熱狂を煽るだけの表面的なものが多く、本質的なことから目を逸らされている感が苦手なのです。
そんな人間が感じたことなので間違っているかもしれませんが、誤解を恐れながら言うと、厳格な戒律と血統を重んじるユダヤの民が国を追われることになった理由はそういうところにあるのかも…ふとそんな風に思ったのです。
同じ時代に同じ地球に生まれた隣り合うもの同士、姿形が違っても本来尊重し合うべき相手なのに区別してしまうこと、自分とは違う考えに対して不寛容であること。
こういう対立を煽る意識の在り方はとても危ういのですが、コロナ騒ぎが始まった頃から世の中のそれは特に顕著で、私自身の日頃の言動や考え、態度にも如実に表れていました。
日本人が“失われた十支族”のどの部族の末裔で、どのようにしてこの地に辿り着いたのかは諸説あるようですが、生き延びた人々はその旅の過程で多様な文化や風土に触れ、変化や違いを受け入れながらこの地に辿り着き、ここでも更に元々そこに在るもの、外から来るものを吸収し混じり合いながら発達してきました。
よく言われる「お正月に神社に行き、クリスマスを祝い、死ぬときはお寺さんにお経をあげてもらう」これは外国の方からはとても奇異に見えるらしく、実際に私も「アイデンティティがないのか」と言われたことがあります。それを真に受けて恥ずかしく感じていた時期もありましたが、私が今ここに在るのはご先祖様たちのそんな寛容さや柔軟さがあったからこそであって、恥ずべきことではないと最近は思うようになりました。
過去に純血に拘って近親相姦を繰り返した文明や家系は大体潰れているのに対し、この国は(一応史実としては)万世一系で超長続きしていますしね…
現在“mono-eye 👁️”を象徴する方々を中心に刻々とすすめられているワン・ワールド化は、一見耳障りの良い言葉が並んでいますが実態は『新世界秩序と支配体制の完成』を目指すもの。特に生命への介入の仕方なんて種を根絶やしにする氣満々。
完全に神の領域を侵犯してますよね…
よく耳にする『日本は世界の雛形だ』という言葉、これも実はあまりピンと来ていませんでした。理由は先に述べたのと同じですが、靈的な記憶や経験を踏まえたらスターウォーズの世界まで拡がっちゃうので、情報が膨大すぎて文字にはしきれないのもたしか。。^_^;
それでも敢えて自分のためにメモすると、
それはこういった長い歴史と実績(キャリア)を持って☝の流れを変えて調和を生みだす力を持っている、そういう靈(たましい・ヒ)を持つのが私たち日本人だということなのでしょうね。
“役割”という意味でね。
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お話会の冒頭でヨガについて触れられていましたが、私の中でヨガはアーサナ(ポーズ)というより『生き方であり生活そのもの』という認識です。
「呼吸(息・いきをすること)」
「心・言動・行動を一致させること」
この2つは特に繰り返し言われていました。
今回のお話会でもここは何度も強調されていました(*^^*)
yogaには『繋ぐ』と言う意味があります。
『繋ぐ』はことあるごとに目の前に現れたり意識に上る言葉なのですが、たくさんのご先祖様が生命が繋いできたからこそ私たちは今ここに在ります。生命を『繋ぐこと』は人種や国や宗教、時代が違っても共通する目的なです。私たちはそれぞれに役割を持って生まれてきていますが、これはきっと私の靈(たましい)が求めていることでもあるのです。
今更感がスゴイですが、これも今回のお話会を通してようやく腑に落ちたことでした。
しかし、すごい時代に、すごい場所に生まれてきたものですねぇ。。
しみじみとそんな風に思ってしまいました。
さて次はどうやってこの願いは叶えようか。