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HAPPY BIRTHDAY♪

初回投稿は非公開にしていますが、このブログを始めて今日でちょうど1年になりました。
書き留めて整理したいことはたくさんありましたが、夏以降は書きかけては消してばかりだったので、この節目に記しておきます。

今朝は消防訓練のサイレンとワンコの声で目が覚めました。甘い紅茶を飲んで部屋に戻るとちょうど朝日が昇って来ていました。窓を全開にして朝日を眺めてから、ゆっくり呼吸をしていたら、温かな布団に包まれて穏やかに微笑みながら眠るように逝く女性の顔が見えました。すごく綺麗な表情…

直感的にこれは私だと思いました。

今日は私の誕生日。
生まれた日に旅立つ自分の姿をみるのはすごーく不思議な氣分でしたが、妙に腑に落ちて幸せな氣もちになりました。 

今朝のサンキャッチャーの虹

年齢を重ねることに抵抗はないのですが、誕生日は悲しみとか焦りに絡めとられた苦さのようなものを感じて、あまり好きではありませんでした。近年その苦さは少しずつ軽減していましたが、以前は体調を崩して召されかけたこともあった位…

でも今年、特に昨日からは今までになく心穏やかで、空氣すらきらきら澄んでいるようで。後付けにはなりますが、まるでクリスマス・イブみたいな静謐さを感じていました。

こんな空氣感(*^^*)

今までと何が違うのかな?

ぼんやり考えていて思い至ったのは、少し前に氣づいた、
私は生きたい氣もちがないということ
生きることに消極的なのです。
氣づいたときはかなり驚きましたが、その感覚はたしかに私の中に在るのです。

ひかりのみち☆
“ひかり”は今年のテーマでした。“光り輝く”より、まずは“闇を照らす”だったかなという感触。。

その感覚の根っこは今生の私ではないところにあるような氣がして記憶を辿っていると、少し前に聞いたスターウォーズの惑星爆発の話に思い当たりました。

私は子どもの頃から何故か、世界が滅びても自分だけは生き残るという確信があって、そのことに言いようのない恐怖を感じて怯えていました。

絶望感や孤独、深い悲しみを抱えながら、死ぬことも出来ずに生きて…

それは生々しいくらいリアルで、体感として私の靈(たましい)に刻まれ、こびりついているようでした。

南インドの津波に飲み込まれた町の跡。
4年前にも似たような追体験がありましたが、あのときはシナリオが変わり世界は今も続いています。

何のために何度も生き残ったのかな。
何故、今生も生き残ろうとしているのかな。

こんな過酷な世界で生きなきゃいけないなら、いっそ生まれてこない方が幸せなのかも…

様々な情報に触れるなか、今を、未来を憂いてそんな風に思うことも度々ありましたが、ふとこれらの元が同じだということに氣づき、誕生日の度に感じていた苦さの正体が分かった氣がしました。

何か解決できたわけではありませんが、少し視界が開けて状況を俯瞰できるようになりスッキリしました。

そりゃあ、そういう記憶もあるよね。
だからこそ、その感覚を忘れずにまた生まれてきたのだろうな
とも思ったのです。

今ここにいて、この肉体をもつ私だからこそできることがあるし、生きたくない氣もちと同じくらい、生きたい氣もちもあるのです。


先日遠隔ヒーリングを受けていたとき、パンが届きました。

ドイツでパン作りを学ばれて、そのスピリットを大切にパン作りをされている方のパン♡

2か月くらい前に申込んだもので、受けとり日時指定はできず、誕生日くらいには届くかなー?と思っていたものでした。前日に運送会社からこの日に届くと連絡があって「あれ?」と思ったのですが、何となく受け取り時間指定なしのままにしていました。

届いたのは“おやつの時間”にお願いしていた遠隔ヒーリング開始後すぐ。

多分そうなるかなぁ…とうっすら思ってはいたのですが、リラックスして優雅にヒーリングを受けるつもりだったのに、ワタワタガチャガチャしてしまいました。笑

このタイミングでパン!
しかもドイツパンて!!

ワタワタしながら思い出していたのは4年前のヒーリングの恩恵コース初回。

行く先々のパン屋さんやカフェが閉まっていて、どうしてもパンが手に入らなくて。ふと顔を上げたら眼の前には教会。。

その出来事が3年前のフランス旅(※クリスマスに纏わるストーリー参照)へと続いていくのですが、思い出したと同時にそのときに感じた、

もうあのとき(過去生)とは違ってパン(生命の糧)が手に入らず飢えることはないんだ

という感覚を思い出しました。

そうしたら、1か月くらい前から強く噛みしめがちだった奥歯が緩んで、ふわっと笑えるようになっていました。

このときの『もう大丈夫』の感覚は、今の私が私として生きていくうえでたいせつな基盤なのです。

そうそう!この感覚!!
思い出した(*^^*)

その夜、ふと思いついて封印していた1枚の曼荼羅を見ました。

6年前に描いた曼荼羅。
タイトルは『マッチ売りの少女』

この画は描いていたときから異質な存在で、凍え死ぬ少女のビジョンと彼女の願いみたいなのをビシバシ受けなから描いたものでした。描いていたときの苦しさから「嫌い」「恐い」という氣もちが強くて遠ざけていました。

今思うと、心の準備がないままいきなり急所を突くようなリーディングをしちゃっていたのでしょうね。それはきついはず^^;

改めて見返すと思っていたようなおどろおどろしさはなく、同じ画なのに全然見え方が違うことに驚きました。

意識の在り方で世界が変わる。
世界を創っているのは自分自身。

何度も体感しているつもりでしたが、ここでもまた実感。そうしたら

あぁ、もう大丈夫なんだなぁ。

より深く安心して、ようやく本当の意味で上書きが終了した氣がしました。

ヒーリング終了後にいただいたメッセージに書かれていた、上書きされた内容にほっとしたのですが、実はちょっとだけ苦笑いしてしまいました。

その辺りの学びとか上書きは終わったつもりでいたのに、完了してなかったんかーい!!

いや…氣づいてはいたけど、ちょっとそこから目を逸らしていたのです^^; 
バレてたのかな?笑笑

まぁ、人生ってそういうもの…よね?

私のぽんこつ具合はともあれ?
今このタイミングで完了できてよかった(*^^*)
こんな清々しい氣分で新たな1年を迎えられることに感謝☆


2022.11.6