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2022.5.7
この頃から、繰り返し響いている言葉があります。

このとき一番最初に反応した歌詞はこの部分でした。

自分のこと たいせつにして
誰かのこと そっと 想うみたいに

小田和正『たしかなこと』

同じ曲を聴いても、そのとき自分が置かれた状況や場面で意識に留まる言葉は変わっていくのですが、この曲のこの部分だけは、変わらないばかりか、最近はこのフレーズだけが単独で何度も脳内再生されていました。

うーん。。(悩)

言葉としては知っているけど、本当の意味では理解していない(したくない?)感があり、消化不良のまま抱えこんでいました。

更にこの冬くらいからは、ことあるごとに『自分を誤魔化さないで』というフレーズにも直面していますが、こちらもまだまだ手探り状態。。

『自分を大切に』『誤魔化さないで』

12年くらい前から同じことを言われ続けていましたが、当時は自分を大切にするという概念そのものが欠落していましたし、誤魔化すも何も、考えて考えて慎重に答えを出しているのに…と不満にすら思っていました。

自覚がなかった状態から、キャッチして意識化できるようになっているだけでも「随分成長したやん!」とは思いますが、じゃあ(具体的に)どう(行動)すれば良いかが分からずにモヤっとしていました。


ふと、ある人に言われたことを思い出しました。

「Nちゃんが何を感じているのか知りたいな」

そう言われたとき、ものすごーーーく狼狽えた記憶があります。

「よく分からないので…」

ものすごーーーく困った顔でそう言ったのですが、事実、分からないから困りました。 

最近も似たようなことを言われることがちょこちょこあって、その度に

え…空っぽで何も考えてないです。ぼーっとしてました。期待外れでごめんなさい。。 

と申し訳なく思っていました。
最近まで見てみぬふりをしていましたが、実はこれ、自分でそう仕向けてきた結果なのです。いつのタイミングだったのか定かではありませんが、

何も感じないようにしたら、しんどくないんじゃない?

と氣づいて、そういう振りをしていたら『それっぽく』なれたという記憶があるのです。

どこでどうやって知ったのか、幼い頃、辛いことや悔しいこと、悲しいことを箱に詰め込んで、厳重に鍵を掛けて閉じ込めるイメージをしていました。
見ないふりして隠しただけで、問題はなくなったわけでも解決したわけでもないので、うっかり開くと、映画『リング』の貞ちゃんみたいのがワッサワッサ出てきちゃうんですよね、これ ^_^;

これは幼いなりに編み出した防御方法だったのでしょうが、今の私にはもう必要ないもの。
でも習慣化して、しっかり身についてしまっているから、今度はこれを意図的に剥がしていかないといけないのです。
無意識でしていることも多いので、かなり意識的に常に自分を見張る?いや、俯瞰?もしなきゃいけないよね。。

なかなか大変そうな。。

考えていたら少し肌寒さを感じているのに放置している自分に氣がつきました。
「うーん。寒いよね。冷えるね」って他人ごとみたいに…そういうところ変えていこうよっ!!
カーディガンを1枚羽織るとか、まずはそういう身近なことからね ^^;

私が私として生きるために、まずは本来の私に戻りましょう。