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解(ほど)く

17歳のときに些細なことがきっかけで仲違いをしていた幼なじみと少し話をしました。
20代、30代のときにも話す機会はありましたが、共通の知人たちが「2人が和解した」と沸き立つのを白々しいというか、空々しいというか…冷めた氣もちで眺め、その後、その知人たちとも疎遠になっていたので、姿を見かけることはあっても、自分から話しかけることがないまま今に至っていたので本当に久しぶりでした。

お墓参りのときに行き違っただけで共通の話題もなく、互いの連れていた犬同士がじゃれるのを見ながら、互いの犬の情報と少しだけ出た同級生の話題。

あぁ、そんな人もいたっけ…

ぼんやり思いながらひさしぶりに彼女の顔をチラリみて思ったのは

「老けたなぁ」
「その喋り方、変わらないなぁ」

それだけでした。同時にはっきりと

“ガラガラ、ピシャン”

シャッターが下りたことを感じました。
懐かしさや親しみを感じることもなく、1秒でも早く切り上げたいと思う自分と彼女との温度差にこっそり苦笑し、そんな自分の冷たさに呆れたりもしましたが、そのときの感覚に意識を向けていると

17歳のときの出来事は単にきっかけで、私はもっとずっと前から彼女を信用していなかったし、心も開いていなかったよね。
ずっと嘘をついていたのは私やん。。
とうの昔に彼女とは終わっていたよね。

むしろシャッターはもっとずっと昔に降りていたことに思い当たりました。

私には4つ年が離れた妹がいるのですが、妹が家の前でひき逃げをされたことがありました。下肢の骨折と足の指が危うく断絶されるような事故でたくさんの血が流れて騒然となり、分からないなりに大変なことが起きたと不安になった記憶があります。
母が付き添い、ギプスをして帰ってきた妹をみて「妹ちゃん無事で良かった」と言った私に彼女は「妹ちゃんが死んでも私には関係ないけどな」と言ったのです。私は最も身近にいた彼女のその言葉に深く傷つき、失望し、激しい怒りを抱きました。

7歳の夏の出来事なので、まだ互いに人の死に接したことがなく、彼女自身も悪気があって発したわけではなかったのでしょう。実際、数年後に彼女にその言葉について問うたことがありましたが、彼女は覚えていませんでした。でも当時はそのことに思い至るには私自身が幼すぎました。誰にも言えない(親にも言ってはいけない氣がした)まま激しい怒りを持て余した私はその夏、彼女からの遊びの誘いを断り続け、その後数年間ほとんど関わりを持ちませんでした。

田舎の小さなコミュニティで、同い年、互いの家が徒歩10歩という距離だったので、全く関わらないという選択肢はなく、それなりに楽しく過ごしたこともありましたが、ずっとあのときの出来事がひっかかっていました。

一度壊れた信用ってなかなか元には戻らないのですよね。私の器がちっちぇのかもしれませんが、その時々に解決せず飲み込んでしまっていれば尚のこと…

相手が覚えてもいないことをいつまでも根に持って小さいなぁ…

そんな風に自分を責めることもありましたが、本当は本音を隠した表面的な付き合いに疲れ切っていたのです。当時もそのことには薄々氣づいていましたが、それでも関係を断てずにいたのは、新しい関係性を築くのが苦手だった自分自身の性格上、人間関係を彼女に頼り切ってしまっていたことが原因でした。

色んなこと(もの)に蓋をして見ないふりして(自分に)言い訳をしていました。そのときはそうするしかないと思っていたのです。

一方的に拗らせたまま迎えた十代。

17歳のときの出来事は、十代、それも幼なじみだからこその氣恥ずかしさがあった故のことはすぐに理解できたのですが、あの頃の私は

彼女は私のことを信用していないから除け者にした。

そう感じて再び深く傷つきました。
共通の知人たちにもその心の内を見せることはなかったので、彼女らには私が一方的に拗ねているようにしか見えなかったのでしょう。見せていなかったのは自分自身なのに、彼女らの無神経さにも腹を立てていました。

自分が信用も信頼もしてない相手に、
自分が信頼されるはずがないよね。
あのときの彼女の態度は、私自身が彼女にとっていた態度が自分に返ってきただけだったんだなぁ…

そこに思い至ったとき、自分が何を恐れ、何から目を背けていたのかが分かってスッキリしました。

ここ、私の人間関係における最大のウィークポイントです。。

生命を軽んじる発言は大人になった今も私の怒りのトリガーになるもので、彼女の高圧的でぶそんな喋り方は私が苦手とするDV気質な男性のそれと似ているので好きにはなれないし、どうしても萎縮してしまい、心が開けない要因ではあるのですが、

今回の原因はそこではなかったよね。

「私が彼女に謝るべきことなんてない!!」と意地を張る一方で、ずっと心に引っかかっていたのはここだったのです。被害者面していましたが加害者でもあったよね…

「ゴメン」

たった3文字が言えなかったのは、私自身がそのことを認められず受け入れていなかったから。私の態度にも非はあったので「とりあえず口先だけでも…」という手も過去にはあったのでしょうが、意外とそういう器用な嘘はつけないのよね。頑固なのも否定はしませんし、そこまでして関係を修復したい氣持ちがなかったのも事実ですが。。

改めて感じてみても、とうの昔にその機は過ぎているし“if…”の世界も想像できない。

たぶん彼女とこの先の人生で関わることはない。

今までもそう思っていましたが、捻れたままの感情からではなく、
“出会ったら挨拶するくらいの関係”
彼女とはそのくらいの距離感が一番心地好くて自然だと感じるのです。

まぁすでにその状態なのですが、自分が一方的に抱いていた逃げだしたくなるような苦手意識…そう意識が変わったのです。

もう私も彼女も小さなこどもではないから、ここ以外にも生きる場所があることを知っています。いつまでも縛られていなくて良いのよね。

『意識が先で現実(具現化)はあと』が鉄板?ですが、ようやく取り溢していた意識が現実に追いついた感じかな。

繋がり直すものもあれば、こうやって終わらせるものもあるよねっていう…

ハイ、ただの備忘録です。笑

ラベンダーオレンジソーダ☆
文章には一切関係ありません。笑

ずーっと喉に刺さっていた小骨が取れたみたいな氣分です(*^^*)

…しかし彼女に限らず地元、特に幼なじみにぶそんな物言いをする人やDV気質、粗暴な人間の多いこと。よく見たらほぼ100%それ系。だから未だにこの土地に馴染めないのよね。いや、土地のせいにしたらあかんか。。

でも改めて振り返ると、誰よりも私自身が私を虐げていた時期とも重なるので、やはりせれも投影でしかなかったのかもなぁ…

最近よく自分自身の言動や態度が傲慢だったり、礼を欠いたものだったり…振り返って氣づいていちいち😱😱😱ってなっていたから氣づいたのかもしれませんが、そこも氣をつけていこう。


2023.8.13