見出し画像

「多趣味って羨ましい」

最近よく言われるようになった。特段趣味を広げているつもりはない。

休日は車を掃除したり、ベースを弾いたり、写真を撮ったり、長期休みは一人旅と個人的には普通な趣味。

むしろ休日の過ごし方に悩んでいたぐらいであった。もう少しのめりこめる、楽しみにできる趣味はないかと思っていた。

学生時代は大学の友人と飲みに行ったり、旅行に行ったりと一人では過ごしていなかった。

けれど社会人になって一人で過ごすことが圧倒的になってきた。特にコロナ禍もあって。

それもあって他人の過ごし方をいつしか漠然と羨ましく思う節があった。


私は今25歳。。。つまり四半期を生きていることになる。

同期はせておき、上の方々は人生の岐路に立ち、選択し、進んでいるのを目にするようになった。

仕事を捨て趣味・やりがいを求める方、逆に趣味を捨て仕事に専念する方。

各々、きちんとやりたいことを明確に決めて一歩一歩進んでいるように見える。


それに比べて自分は、特段今の生活に不満はない。満足もない。ザ・平凡。

ただ漠然とこのままでいいのか、ダメだ、来週から今とは違う何かしよう、

と思い毎週毎週過ごしている。日曜日が来る度に進歩がない自分に嫌気がさす。


人生100年時代と言われているが、健康寿命と生涯寿命は違う。

男の私が健康で居られるのは80歳ぐらいまでが御の字だろうか。

そして結婚して子供ができると仮定すると子が独立するまで、すなわち20数年間は生活は家族優先となる。

晩婚といっても自分が60歳定年後に学生の子供がいるのはかなり辛い生活が目に見える(両親がそう)

そうなると35歳までには自分の生活は制限しないといけない。

というか、結婚したらその時点で自分の生活は制限しないといけない。

(最近の夫婦中では個や趣味を重視する傾向があるけど、共働きが主な今、個々の主張より、お互いの協調が必要だと思っている)

そう考えると、自由に過ごせるのは5年もないのかなと思う。勿論結婚できればだけど。


残り5年

と思いながら、毎日・毎週・毎月・毎年がいたずらに去っている。


「多趣味って羨ましい」

そんな中急に言われた発言によって妙に救われた気がした。

私は惰性に趣味とも思って居ない日常を過ごしていたけど、

他人から見たら充実しているように見えたようだ。

というか充実している、贅沢な過ごし方なのかもしれない。

このコロナ禍で生活苦であったり、本来の趣味が制限されている方もいる。

それに比べると奇遇にも一人趣味がメインの私は恵まれている。

自分が不満だと思っていることは、他人からしたら贅沢なのかもしれない。


人生一度きり。自己満足に生きたもん勝ち。

まぁ当たり前だ。だけど私は結構これを忘れて、他己満足(承認欲求)を求めがち。

可もなく不可もない人生に不満なら、満足いくまでやればええやん。可に止まらず優秀ぐらいまで満足させていけばええやん。

って思った。だから今の贅沢な環境をもう少し自己満足に極めて行こうと思った。


親や友人に胸張って語れる日常。何より悔いのない人生が大切っしょ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?