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危ない気持ち? 「怒り」


ecomom連載記事。子育て中のお母さん向けに書いていました。
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カウンセラーは怒らない?
学生たちから「きっと、授業に遅刻しても怒らないよね。カウンセラーだもんね」と言われることがよくある。遅刻しても怒らないけど、カウンセラーだから怒らないというのは間違っている。少なくとも私にとっては。私はかなりのおこりん坊なのだ。なので、当然、子育てではしょっちゅうイライラと怒りとがやってくる。「どうしてこんなことが出来ないの?」「なんでそんなことするの!!」と。

先生とかカウンセラーだったら「そういうのが子どもなんですよ~」なんて、やんわり諌めたりするのかな、と脳内でバーチャル・ステレオタイプ・カウンセラーが登場することもあるが、「うるさ~い。わかっちゃいるけど、腹が立つのよ!!」とちっとも心静まることにはならない。

気分が落ち着いてから振り返ってみれば、歯磨きができるようになるためには一緒にやって、教えなくてはならないのだとか、「それはやっちゃダメよ」と教えなくてはわからないのだということがわかる。けれども、目の前で繰り広げられるぐちゃぐちゃ状態に対しての耐性は徐々にじゃないと出来上がらない。今ではかなり向上したと思うけど。

怒りの裏にある感情
ところで「怒り」をよーく観察すると、その裏にあるほかの感情に気づくことがある。たとえば、目の前で繰り広げられるぐちゃぐちゃ、べたべたに対して、怒りとともに感じているのは、がっかり感。あるいは無力感。「あーあ、せっかくきれいにしたところなのに」のような、小さな傷つき体験があることが多いのだ。「電車の中で大声を出すなんて。親のしつけがなってない、ダメ親と思われたんじゃないかな」という恥ずかしさやちょっとした落ち込み。「ちゃんと挨拶ができないと、この先社会性が育たないのでは?」という不安とか。どの感情も感じると「嫌な気分」になってもおかしくないものばかり。つまり、親自身の傷つきがある。

だから、怒っているときはむしろ、「ああ、私、傷ついちゃったんだわ」と思ってみるのも手だ。傷ついているときに必要なのは慰め。決して、怒っている自分を責める言葉ではない。怒った自分を罰するよりも、「よしよし、大変だったね」と慰めることが必要なのだ。

怒りは希望・期待を知る手がかり
一般的に怒りはいけない感情のように思われているし、女性にとっては抑えるべき感情であったりもする。けれども、怒りは希望や期待を知る手がかりとしても使える。ムッとしたときにはきっと、自分のなかの「本当はこうあって欲しい」「こうあるべきだと思う」というものに抵触している。たとえば店員さんの態度にムッとしたら「本当はもっと丁寧に応対してもらいたいんだ」とわかったり、パートナーの言葉にイライラときたら「そう言われるのは期待外れなんだ。本当に言ってもらいたいことは違うことなんだ」とわかったり。やみくもにムッを押さえ込むだけでは、問題解決につながらないこともある。そうは言っても、不要な怒りやイライラに陥らないですむならそれに越したことは無い。子育て中の親に必要なのは50分のカウンセリングなんていう気長なサポートよりも、買い物に行く間30分だけでも見ててくれる人とか、おたふく風邪になった子どもがいても今日の仕事を休まないですむ方策とか、怒りが爆発しそうなときに心を静める方法とか、すぐに使える実際的なものなんだよなー、と思うのです。

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