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子どもは「時間」だ

アラモアナに用事があって行ったら、駐車場がガラガラ。いつも賑わっているお店やデパートが閉まってて、なんとなく不安感が増す風景。いつも行く日本食料品店では、店内の人数をコントロールするために、入店制限。15分ほど並んで入店しました。買い物自体はスムーズで、レジで並ぶか店外で並ぶかの違いな気がして、狭い通路で引っかかるより外で待ってても構わないけどなぁと新たな発見でした。

今日の4時半から実質的にはロックダウン。おうちでのんびりするしかない状況です。コタツはないんだけど。

今日のエコマム。

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わやくちゃな時間
わが家にはもはや幼児はいなくなり、わやくちゃな時間がぐ~んと減りました。先日、子どもたちが小さい頃、お砂場によく通った公園の横を自転車で通りかかりました。そのときにふと、「子どもは時間だ」というフレーズが思い浮かびました。
もちろん、子どもが生まれる前までも「時」はあったのです。仕事をしたり、家のことをしたり。好きなことに没頭したり。けれども、どこかそれは「その時」だけで過ぎてしまっていたな~と思います。

子どもが動かす時間
子どもができてから「時」は動き出し、広がりができ「時間」となった。
子どもができる前、仕事と自分のことがほぼ全ての毎日だったころ、時が流れていく実感があまりありませんでした。去年の服は変わらず着られるし、背の高さが変わるわけではない。多少、お肌のつやがくすんだり、疲れやすさを感じるなんてこともあったにしても、まあ、昨日と今日で、去年と今年でそれほどの違いがあるわけではない日々。あまり変化のない、よく言えば穏やかな毎日が過ぎていたわけです。

ところが、子どもがやってきてからというもの、季節ごとに服は小さくなるわ、食べものの好みは変わるわ、言うことも変わるわと、日々、変化の連続。
4月になれば、新学期がきて教科書やノート、さまざまなものが新しくなり、担任の先生もクラスのメンバーも変わる。春夏秋冬の行事が幼稚園・保育園、学校、児童館などから伝わってくる。夫と二人だけの生活のなかに、「ひな祭り」や「お年玉」は入る余地はありませんでしたもの。そして、子ども経由で伝わってくる、その時々の流行りものの歌やギャグ。これも二人のときにはほとんど流れ込んでこなかった。

変化がデフォルトの子どもとの時間
去年とは同じではない今年。昨日から進化してる今日。子どもが近くにいる、ということは変化が大きい分、時の流れを実感するチャンスが多くなるということでもありますね。

自分の子どもかどうかに限らず、「子ども」という要素は時の流れを作り出し、時間を生みだす。子育てに一息ついたこのごろ、そんなことを思ったりしています。

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