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かみとえんぴつ

かみとえんぴつがあれば、どこでも仕事ができるっていうのがいいなぁ、と学生のころに思った。ファザコンが祟って父親と同じ農芸化学科を目指して入ったはいいけれど、電子顕微鏡とか実験器具類がないと仕事できないってのは避けたい気がした。段取り力が皆無に等しく、おっちょこちょいとなると、実験計画や検体の管理なんて、きっと向いていないと私の中の何かが言っていた。一生続けるには無理があるよなぁ。

そんな頃に始めたのが不登校の子どもへの訪問相談だった。身一つで指定のところに出向き、一緒に時間を過ごす。使われるのは生身の感性とか感覚。訪問を終えた後、考えたことや感じたことをノートに書き留めた。それは、その子についての客観的分析的なものというよりも、その子と関わることが引き金になって出てきた、自分自身が学校で体験してきたことや親子関係の中で思ったことなど。毎回、B5のノートで4、5ページぐらい書きなぐっていたと思う。

これを書くのは訪問帰りに寄るカフェ。その頃は喫茶店と呼ばれてて、喫煙者も多かった。ある時、カウンターで書いていたら隣に座っていた業界っぽいおじさんに「おいおい、そんなにいっぱい書かれたら、こちとらプロの書き手の立つ瀬がないぜ」と言われたことがある。

だって、湧き出てきちゃうんだから、仕方ない。

このえんぴつ(使ってたのは太めの芯のシャーペンだった)とノート(罫幅が広めでリングのやつが好き)さえあればやっていける感がすごく好きだった。書くことが仕事だったら旅行してても、研究所的なところに行かなくても仕事ができるではないか。

何回も書いているけれど本屋さんで「一冊ぐらい、私の書いた本が並んでいてもいいのになぁ」と言って友人に呆れられたり、小学生のころ、赤毛のアンのあとがきの作者の育った家の紹介なんかを読んで、将来、「幼少のころ、書いたいたずら描き」として紹介されるように、こっそり(本当は社宅だったからそんなことしたら絶対にダメなやつだったんだろうけど)押し入れの柱の隅にへたくそな猫の絵を描いたりしたような子だったりした。この漠然と書き手になりたい願望が雑誌社でのフリーライターのアルバイトに繋がり、そのつてで書くことになった新書なんかにつながったのだろう。まあ、すっごくラッキーなつながり方だったし、バブルで仕事がいっぱいあったという時代背景もあったけど。

かみとえんぴつがあれば楽しめる。これ、絵を描く人にも言えるけど、本当にラッキーな楽しみだと思う。




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