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幸せなのはどっちか

ずっとこのイラストが使いたかった。母ぐまさんの脱力具合が、なんとも好ましい。けど「お母さん、お疲れ様」以外の何も思い浮かばなかったので、書くことがないなぁと思ってた。

ところが、さっき見てたら「幸せなのはどっちか」ということが思い浮かんだ。どっちかというのは「母ぐまさんだろうか、子ぐまさんだろうか」ということであり、援助する側だろうかされる側だろうか、というテーマ。だって、子ぐまさんたちがなんか嬉しそうじゃないですか。

例えば自分の携帯の電話番号を公開して、死にたくなったらいつでも電話していい「いのっちの電話」を続けている坂口校長も「これは自分のためにやっている」とおっしゃる。

カウンセラーはいやいや仕事をしているかといえば、そんなことはなく、収入ややりがいという言葉でカバーできる範囲とは違う何かを得ている気がする。サポートしながらサポートされている的な? だから、ここがすごく難しい。禁欲原則があるのもうなずける。自分のための会話か相手のための会話かが、そこココでひょろっと反転してしまいやすいのだ。自分が何かいい気分になっているとしたら、何が自分をいい気分にさせているのかに目を向け、気をつけなくてはならない。

「支援」的なものについて考えている人は、どっちがどっちを支援しているのか、されているのか、そもそも支援ってのはなんなんだ、と常に問うているに違いない。

そうだ、抱樸(ほうぼく)チャンネルの「呼びかけ続けることの意味〜対話とは何か?」 藤原辰史(歴史研究者)x 奥田知志(抱樸)の対談も支援的なものを考えるにあたって、ものすごく面白かった。今、藤原辰史著「分解の哲学ー腐敗と発酵をめぐる思考」読み読み中。

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