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無駄なことはひとつもない

ecomom連載記事。子育て中のお母さん向けに書いていました。

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人生、無駄なことはひとつもない
農学部出身のカウンセラーと言うと、「何も農学部行かなくてもよかったですよね」(そう、その時は遺伝子の仕事をするぞ!! と思ってたんだけど…)「受験で数学とかできるほうだったんですか?」(いや、数学は苦手だった)とか、「大学出た後、何してたんですか?」(実は、師匠の弟子のような感じで、しばらくフラフラしていた) と「何と応えたものか」と考え込む質問に出会うことも多い。

思えば人生のなかに無駄な部分を山ほどもっている。自慢にならない回り道も一休みもいっぱいしている。けれども、あるときから「人生、無駄なことはひとつもない」と感じることが多くなった。若いころ(っていつだ?)は気づかなかったなーと思う。5年ぐらいのスパンで考えると無駄なことも、20年のスパンで振り返ってみると案外、役立っている。

いくつかの挫折や受験のためだけにやった数Ⅲや学生時代に徹夜して書いた実験レポート。ドラマの場面に出ていたというだけで行った旅行。中途半端な一人暮らし。でも、現在の自分にたどり着くためには、たぶん、これまでにやったあれこれの無駄が、全部必要だったに違いない。

無駄になるのが怖くて、始められない
知人がどうして自分はデートしないか、について解説してくれたことがある。彼曰く、「まず、待ち合わせの場所を考える。でも、もし迷ったらどうしようと不安になって、場所の下見に行かなくちゃいけないような気がしてくる。さらに、テニスに誘おうかとか考えても、雨かもしれないし、そうしたらどこに行こうか…と考えたりして、だんだん面倒になる。結局「ああ、もう、一人で寝ていよう」ということになるのだそうだ。

「これって、無駄?」と思うと一歩踏み出すのに躊躇する。博士論文提出を控えた友人も、「書いたものが全部無駄になるかも、と思うと書き始められ
ない」とごちていた。(結局はちゃんと提出して学位を取ったとのこと。ヨカッタ。おめでとう!)雑誌の仕事にかかわっていたころ、せっかく書いたものを明け方4時ごろになって、一から書き直すという「エー!!」と思うような目にしょっちゅうあったことで、無駄への恐怖がなくなったのかもしれない。病を乗り越えた方たちから「あの体験があったからこそ」という言葉
を聴くこともある。かつては「そうかなー」という疑念も実のところ30%ぐらいあったけれど、今は「そうだよねー」と心から思う。
 
自分との和解ということ
「あの人と和解する-仲直りの心理学」(井上孝代著)という本が集英社新書から発刊される。周りの人との間や自分の内側での葛藤、そしてその葛藤を乗り越えるプロセス-和解がテーマなのだが、「無駄だったんじゃないか」という思いが「全部、必要なものだったんだ」と思うようになるプロセスはまさしく、自分の体験との和解だよなーと感動しながら読んだ。


というわけで、原稿を書かなくちゃとわかりつつ、本を読んだり、部屋の片づけをしたりということや、あのときTVでサッカーを見てしまったり、子どもと一緒に寝てしまったり、というのも、み~んな今、原稿を書くために必要なことだったのよ。…ってやっぱり、こじつけが過ぎる?

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