全てが歪んで見えているという事実

これは私が高校生の時に、

「ケーキの切れない非行少年たち」


という本を読んで書いた読書感想文です。


◎生活している中で突然、衝撃的な事件が起こることがある。テレビや新聞で大々的に取り上げられ、日本中を震撼させる。
インターネットには、多くの意見が次々と書き込まれる。私は事件が起こると被害者側の事ばかりを考えていた。
どんなに心に傷を負っただろうか、親族がどれだけ辛いだろうか。しかし、この本を読んで

過ちを犯した側への意識や考え

が少し変わった。

◎今まで過ちを犯した側に対して、
怖く思ったり、想像を超えるような考えを持っていたりする人なのかと思っていた。
なぜこの世から犯罪が無くならないのだろうと、報道される度に思っていた。しかし、私たちがいくら批判しても、恐怖感を持っても、犯罪が起きて被害者もうまれる。
似たような事件が何故こんなにも起きるのだろうと、不思議に思った。

◎だが、過ちを犯してしまう人は何らかの問題を抱えていることを知った。
1つ目が、

認知機能の低さ

だ。認知機能が低いということは、
見る力、聞く力、想像する力も低いということだ。どれだけ生きにくかっただろうか、想像してもしきれない。
日常生活の中で色んな壁にぶつかってきたのだと思う。認知機能が低いと勉強についていけなくなっていじめにあったり、親な先生から手がかかる子だと思われたり、どんどんストレスが溜まってくる。そのストレスの発散として非行に走ってしまう。私はすごく悲しくなった。
子供の時から助けを必要としていたはずなのに、気づかれなかったから犯罪者になってしまった。

誰か一人でも気づいていたら

犯罪者になることもなく、被害者もうまれなかった。そう思うと、本当に心が痛くなる。


◎そしてもう1つ、過ちを犯してしまう人が抱えている問題があった。
それは

不適切な自己評価

だ。
過度に自分自身に自信を持ちすぎていたら、反省することもないし、自分を変えることが出来ない。逆に、自信が無さすぎると自分自身を責めたり、それが怒りへ変換されると非行に走ってしまうかもしれない。
この問題は過ちを、犯してしまった人だけに当てはまるものでは無いと思う。
それは、私自身が自己評価が比較的低く、適切な自己評価がどれだけ大切か身をもって感じているからだ。
自己評価は生育環境、これまでの生い立ちが複雑に関わっているのだと思う。
私は何をしていても、人より劣っていると感じてしまうし、どれだけ努力をしても満足が出来ない。自分自身を責めるなんてことはしょっちゅうである。だが、怒りへと変わることはない。
それは、周囲の人達が努力を認めてくれるからだと思う。自己評価が不適切だと、生きにくい。
過ちを犯してしまった人に、周りからの支援があれば非行にはリスクを少しでも減らすことが出来たのではないかと思う。


◎過ちを犯してしまった人は、認知機能が低く過ちを犯した事にすら気づいていなかったり、
分かっていなかったりするのだ。
これだけでも衝撃だが、この本の中で1番印象に残った言葉がある。
それは、過ちを犯してしまう人は

世の中の全てが歪んで見えている

という言葉だ。
生きにくかっただろうに、必死に生き続け、溜まったストレスが犯罪に向かってしまうのは
とても悲しく、辛く思う。
事件が起きた時に、同じようなリスクを抱えた人が周囲に居ないかという視点を持てるようになりたい。事件は怖くて恐ろしいものであるが、過ちを犯した側の背景を想像できるようになりたい。
犯罪は決して他人事ではない、
ということを頭に入れておかなければいけない。


◎とは言っても、過ちを犯す恐れがある人に気づいて支援をするというのはとても難しいことだと思う。過ちを犯した人の中には、知的なハンデを抱えている人もいるそうだ。
だとしたら、日常生活の中で何か困っている人を見かけたら手助けをする、というような
小さなことから始めてみたらいいと思う。
孤独で生きにくさを感じながら生きている人が今もいるのだと思う。
声掛けや手助けで1人ではないと思って貰えたら嬉しいし、犯罪のリスクを下げることが出来るかもしれない。



◎犯罪はもちろん悪いことだ。被害者や親族にも私ができることがあるならば、行動したい。
だが、過ちを犯してしまう人が何かしらの問題を抱えていることもまた事実なのだ。
過ちを犯した人を社会から除外するのではなく、どうしたら過ちを犯さずにすんだのかを考えたい。
知的なハンデを抱えている人には手を差し伸べ、
共に生きて生きたい。
生きにくさを感じている人に気づいて、生きにくさから非行に走る人が減って欲しい。

犯罪は決して他人事ではないのだ。



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