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面白くなきこの世を面白く。2

おばあちゃんが亡くなった喪失感は言葉では言い尽くせない。パートナーにその話をしたときに、ずっと会ってなかったんでしょう?と言われ当時を思い出したことなど。

火葬場で歩けなくなる程、泣いた。

自分の全てが砂になって消えていった。

明日からどう生きたらいいのかわからなくなった。

亡くなった事を聞き、札幌ヘ行った。
白い布団に横たわる祖母。

お線香やら置いてある台を囲む様に、おばあちゃんの頭の乗った枕に私も頭を置いて。ちょうどL字を描くように寝た。何ならちょっと頭で頭を押したりもして。
しばらく寝ていたんじゃないかと思う。

あとから、横浜の叔父さんが来て。部屋に入るなり、死人が増えてる!とかなんとか叫んでから、手を合わせて。おばあちゃんの足を撫でていた。叔父さんはおばあちゃんの弟で、生前大変仲が良かった。
お前も気が済むまでそこに居たらいいというので、じゃあ何年もここにいるよと答えたと思う。

本格的に寝ていると、とにかくいろんな人が出入りするので(そりゃそうなんだけど。)寒いから毛布をもらった。線香の番をしていた訳でもないので、みんなが入れ代わり入って来て線香を守っていたけど、私の心配もしていた。

上で寝たらとか、寒くないかとか。

私にとっては生きてる者からの心配などどうでも良かった。たった一人、大切な人間のいない、この世界では。

全てがどうでも良かった。

ずっと会わずにいたのは、余りにも精神的に自立出来ていないと悟ったからだった。物理的に合わないだけで、生後4ヶ月からの年月は薄まることはない。

けれど、私は大人に成れていなかった。

結婚しようが、子供を生み育てようが。

ずっとおばあちゃんの子どもだった。

存在無くては生きていけなかった。

年だけは大人でも、私はまだ幼かった。

自立、その言葉は自活をすることにあらず。仕事をこなすだけではない、冠婚葬祭に出ることでも、年を重ねる事でもない。

育ててくれた人の懐から飛び出す事だ。

自分で自分を生かす事だ。

自分のアイデンティティや、実際に労をかけて自分を守り助け、生かす事だ。

それには、時に育ててくれた環境を捨てて
否定し問いて問いて、自分の答えをみつける事だ。

私の全てであったおばあちゃんの懐から出ること。
いつか来る別れを想定し、自分なりに生きなくてはならなかった。私の自立である。

そうで無ければ、共に死する事に用意に傾いたと思う。

もう会うことのない最愛の人は旅立つ。引き止めることも後を追うことも出来ずに、自立を果たした私は今日も生きるしかなかった。

泣きながら泣き、人目も憚らず
札幌からの帰路もずっと泣いていた。
そうしていなければ、生きている実感もなかった。

死に持っていって欲しかった。

同化出来たらどんなに良かっただろう。

一本の糸は、自立。

あなたと行けなかった天国は何処にあるのか。
私はもうあなたと会うこともないのかと、
喫茶店の窓やソーダ水の泡の1つや
お蕎麦やさんのお椀の中や
電車の出発するホームに
この街の落ち葉や灯りの1つ1つに
あなたがいるかもしれないと
ずっとずっと孤独を歩いています。

哀しいんじゃない、
欠乏感と喪失感と寒さと痛さと共に歩み
科せられた時間を過ごすだけです。



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