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小樽プライド2023スピーチ用原稿①

第4回小樽プライド2023、本日お集まり頂きありがとうございます。また、パレードの開催に心を届けて下さったみなさん、自身の立場から小樽プライド委員会に志しを預けて下さったみなさん、誠にありがとうございます。
小樽プライド委員会 共同代表、金澤奈々です。
私は生まれた時からジェンダーフルイドという、
性アイデンティティを自認している性的マイノリティーです。
隣にいるのは、私のパートナーであり
小樽プライド委員会メンバーのあかねさんです。

私から、日本中、世界中のみなさん、ひとりひとりの真実や心の深い部分にお聞きしたい事があります。
「家族とは一体何なのでしょうか。」

ここで少し私自身の話をさせて下さい。
私は、小樽市花園にあった寿司屋に生まれました。
生後4ヶ月の時、個人店の忙しさの中、
今で言うベビーシッターを探し、
うちで預かろうと言ってくれたのは、近所に住んでいた
電気館の長女であった、私がばあちゃんと呼ぶひと
と戦争帰還を果たしたじいちゃんの家でした。
じいちゃんはどこからか調達した乳母車に私を乗せ、
休みの日にはグリーンロードから花園銀座街を
歩いたといいます。

幼少期は男の子向け、女の子向け関係なく
様々な事に興味があり、じいちゃんばあちゃんは
それを否定することなく接してくれました。

ただ近所の人が子どもだった私の面倒を買って
出てくれただけ、きっとそれだけのことだったのが
一変したのは、私が7歳、父が31歳の時でした。

お祭りに行こう、そう約束していた朝。
父は交通事故で帰らぬ人となりました。
身元確認に行こうとしていた母に、ショックを受けさせまいとじいちゃんは自分は戦争に行った人間だからと言って、母の代わりに父の身元確認に行ったそうです。

母は父の死を受け入れられず、初七日が終わった頃のある夜、弟をおんぶして私の手を引き、無理心中をしようと車道を歩き続けました。
街頭の蛍光灯のオレンジ色がぼんやりと浮かんで、
肌寒く「じいちゃん、ばあちゃんちに帰ろうよ」と私が言うと、母は道路に顔を付け泣き叫んでいました。
父の突然の死によってステレオタイプの家族の形ではなくなったのです。

その後もじいちゃんばあちゃんは
私をまるで自分の孫の様に、
命を守り育てるため寄り添い、
一緒に生きてくれました。
成人しても、それはいくつになっても
亡くなるその日まで何一つ変わりませんでした。

もう1度みなさんにお聞きします。
「家族とは一体何なのでしょうか。」

父と生きた僅かな時間がある小樽、
じいちゃんばあちゃんが眠る小樽、
2人一緒に生きていく街として、
小樽に戻ったのは今年の1月。

同性家庭も、他の形も、自分の命、家族の命に責任を
持つ、様々な家族の形、それぞれ1つの形に過ぎません。
自分自身と、誰と、今ある輝かしい命を大切に
していきたいのか。自分らしく生きていきたいと人生を
決意した人を、決意したいと思う人を真正面から、
真剣に見つめて頂きたい。

小樽プライド委員会のメンバーとの出会い、それからの
活動の日々は、私たち2人にとって大変重要な
コミュニティとなりました。
また、仕事を通じて知り合ったお店の方々、お客様、
活動を通じて知り合った地域の方々、私たちを家族と
して接してくれているみなさんに日々支えられています。私たちだけではなくきっとどんな人も皆、自分や家族を支えてくれる地域、コミュニティがあり初めて活き活きと安心し暮らしていけるのではないでしょうか。

小樽を旅の地として訪れた人々が楽しかった、来て良かったという笑顔を目にする度に、この街の素晴らしさを再確認することが出来ます。訪れてくれてありがとう!という気持ちと共に、世界中から小樽を訪れる性的マイノリティーに思いを馳せます。

私から見た港街、これからの小樽には多くの可能性が溢れています。ここで自分らしく生きていく、そのために私たちは挑戦し続けます。お聞き下さりありがとうございました。

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