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情報過多

2024年現在、X・Instagram・TikTok・YouTubeなど様々なSNSが私達の日常の中に溶け込んでいる。

私が物心ついた頃には既に大人達は携帯電話を器用に使いこなし、自分から他者へ高速で情報を送受信していた。

スマートフォンが出てくる前までは、自分と相手の二者間でのやりとりが基本だった。それがスマートフォンの出現とほぼ同時にSNSが出現し、二者間が三者間、いや、それはもうなん者間なのか、相手が何者なのかもよく分からない何かとのやりとりがはじまった。

今やSNSは、人と人とのコミュニケーションツールというシンプルな媒体ではなくなった。

人より美しくなる方法、人より賢くなる方法、人より稼ぐ方法、人より幸せになる方法、そんな情報が溢れ返っている。無料でそれらの情報を得られることができる。ある面ではとても優れた媒体であることに間違いない。

だが、情報が溢れかえりすぎて、そしてその情報たちを得ることがあまりに簡単すぎて、私達は"迷う"ということが多くなってしまった気がする。

「自由は不自由だ」

少し前の朝ドラの中でそんな言葉を聞いたことを思い出した。当時はどういう意味か分からなかったが、今分かった。

自由すぎると、迷いが生まれる。
迷っている時間は身動きが取れない。
よって、不自由なのだ。

私は1つ、そう捉えた。

情報を多く得るほどいいと最近まで思っていたが、どうやらそうでもないらしいと思った。

得る情報を絞り、集中したほうがいい。
絶対それがいい。
どうやって情報を絞り、集中するのかは、
また考えよう。


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情報を簡単に入手出来る。
その情報の中には、「好きに生きていい」というものもある。現に私は、好きに生きている。好きに生きるという言葉の定義は様々あるが、私の場合はその言葉通り、好きに生きている。自分が思う通りに生きている。そう言うと、楽そうだが、好きに生きることは、楽じゃない。

好きに生きるとは、自分の行動全てに責任を持つということ。だけどとても面白い。楽しい。楽ではないが、楽しい。

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