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自分は光をにぎつてゐる

自分は光をにぎつてゐる
いまもいまとてにぎつてゐる
而もをりをりは考へる
此の掌(てのひら)をあけてみたら
からつぽではあるまいか
からつぽであつたらどうしよう
けれど自分はにぎつてゐる
いよいよしつかり握るのだ
あんな烈しい暴風(あらし)の中で
摑んだひかりだ
はなすものか
どんなことがあつても
おゝ石になれ、拳
此の生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎりしめる
山村暮鳥『自分は光をにぎつてゐる』

例えそれが幻でも
開いたら消えてしまうものでも
ぎゅっと握りしめたい形のないもの
絶対に、絶対に、離しちゃいけないって
繰り返し自分に言い聞かせる。

この詩を読むと、羽海野チカ『3月のライオン』15巻(白水社 2019.12.31)のあるシーンが一層胸を打つ。


これまで何かあるとひとりぼっちで落ち込んで
そのまま数日間なにも食べられなくなっていた主人公の高校生プロ棋士・桐山零。
でも、自分を「家族」として迎えて一緒にご飯を食べてくれる人達との出会いのおかげで
そんなこともしなくなっていった。
その人たちのために、今までのような無理をするわけにはいかなくなってゆく。

今では、悩んでも翌日の朝には「家族」と一緒に作ったおにぎりを学校でむしゃむしゃ食べている零。

そんな、「図太く」なっていく自分を前にして
彼は立ち止まろうとしてしまう。
こんなふうに「麻痺」していっていいのか、
それが棋士としての自分を弱くしてしまうのではないか、と。

でもそんな零に、いつもは頼りない感じの先生が強く言い放つこの言葉は何度も何度も自分にも言い聞かせたくなる。



幼い時に家族全員に先立たれ、生きていくために「将棋が好き」だと偽り、棋士に養子として迎えられてから孤独に闘ってきた零。
守りたい人達ができて、これまでのように将棋のための破滅的な努力ができなくなってしまったとしても、零にとって本当に大切なのは「居場所」なのだと、ちゃんと理解していた先生は偉大だね。
こんな物語を描いてしまう羽海野チカ先生を心から尊敬する。



どれだけ大切なものでも
気を抜いてしまったら、簡単にその大切さを忘れてしまう。

だから拳が石になるくらい
しっかりと握りしめておかなきゃね。


最後まで読んでくれたあなたが大好きです。
ありがとう