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詩を書けなくなったことについて



詩を書くことは、自分のなかの祈りの力に身を委ねる行為である。


石を通して祈ること、
水を通して祈ること、
星を通して祈ること、
光を通して祈ること、
この世界にあるあらゆるものを通して祈ること、

その祈りの言葉が形をとって表出したものが、わたしにとって詩であったように思う。

この世界のあらゆるところで鳴り響く讃歌に耳を傾けること、
その声と交歓し自らの内面に讃歌を取り入れること、

これらは、世界という編み目のなかに自分の居場所を見出し、その関わりを探る試みである。


私はずっと、世界とわたしの関係、あるいは、わたしとあなたの関係について詩を書いてきた。

そのことが自分の生にとって特別大事なことに思えたし、自分の形を内と外から規定するものであったから。

おおきなあたたかさを抱きしめるとき
それがいつか冷たくなることを思って
いつも泣いていた
ぬくみが永遠でないこと
時は突然に止まるということ
わたしはきちんと分かっている
それでも
永遠に愛していたいから
あなたは永遠であってほしい
わたしが知りうる限りでの
もっとも平凡な永遠に

『無形のわたしたち、無辺のせかいへ』(2022年5月)より、「祈り」


光を構成する
粒子
のような

のような
意味
のような

当てなく
行先なく
滞留する
呼びかけ
まどって
霧散する
そして満たす
せかいを

『光の中に空気がある』(2023年5月)より、「祈り」


わたしが受け取る感情を言葉にするとき、それは自然と祈りの形を採っていた。
わたしと関係する世界、わたしと関係するあなたに、私は祈りを捧げていた。

祈りを通じて関係の糸を結ぼうとしていた。

命題でなく、当為でなく、命令でもない。
ただ自己を明け渡すという姿勢である。

ということは、わたしは世界に対して自己を明け渡すだけの意味を見出していたのだろうか。
少なくとも、それだけの期待をもっていたように思う。


私の祈りの力が死んだのか、世界に対する信頼が失せたのか。

どちらにせよ、
私は詩を書かなくなった。
詩を書くことに、私は適さなくなった。





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