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「門外不出モラトリアム」~非日常な日常との共鳴

5月24日、関東で緊急事態宣言が明ける前日。劇団ノーミーツの「門外不出モラトリアム」を観劇した。想像以上に心を揺さぶられて、観劇から3日経った今でも画面キャプチャを見て余韻に浸っている。

新型コロナウィルス対策で興行の中止が相次ぐなか、リモート専業の劇団が話題になっている。その中の一つが劇団ノーミーツだ。この「門外不出モラトリアム」は旗揚げ公演だった。最近、Zoomを使った演劇実験をよく見ていること、とあるブロガーの方が強くお勧めをしていたので、2500円を支払って千秋楽を観劇した。

5月31日に再演があるとのことなので、ネタバレにならないよう、予告編の内容の範囲で感想を書こうと思う。

物語は、今の私たちが置かれているのと同じく、外出自粛が続く世界。登校禁止のまま大学生活が始まり、フルリモートで4年間を過ごし、卒業を間近に控えた学生たちの物語だ。本来ならば青春真っ盛りな大学生活のはずが、すべてが自宅とZoomを通じたコミュニケーションだけに限られている。それでも、友情をはぐくんだり、恋愛をしたり、仲間と直接会いたい気持ちと葛藤しながら4年を過ごす。

翻って現実の私たちも、家に閉じ込められる生活を強いられている。私自身も、他者とのコミュニケーションはバーチャル会議アプリとテキストがほとんどになってしまった。一方で、自分の行動がそのままウィルスの蔓延に影響を与えるという点で、世間から厳しく試されている側面もある。自分自身が感染するリスクも目の前に迫っているし、なんなら無症状で他人にうつすかもしれない。無意識に自覚はしないようにしているが、「ある時、生死が分かれてしまう」日常を送っているわけだ。自宅にじっとしているようでいて、それが自分自身や社会の未来を左右してしまう、極めてアンバランスな生活である。

そんな自分の環境と並走するように物語は進む。「あの時のあの一言が」「あの時もっとこうすればよかったのに」という後悔とともに。それが、私たちが今、日々の行動ひとつひとつを試されている日常と重なってくるのだ。

俳優たちも自らの部屋で演技をして、それが観客の画面上で一つの物語に統合されていく。途中で「これ本当にライブなのかな?」と疑ってしまうほどのスムーズさ。自分でもZoomやバーチャル会議をやっていると、演劇を成立させるのがどれだけ神経を使うか想像できる。興業中止で活躍の場がなくなる現実に直面して、テクノロジーを使って自分の部屋から未来を変えようとする。こうした演劇の新時代を切り開く挑戦も、学生たちの物語と並走して進んでいく。

物語も、それを作る劇団のメンバーも、予告編のコピーを等しく体現しているようだった。

たとえバーチャルでもこれが私たちの青春
この部屋から未来を変える
収束しない事態と収束する運命に逆らう物語

カーテンコールは、Zoom会議と同様、一人ずつ挨拶をした。これが極めて段取りが悪い。日常のバーチャル会議でよく見る光景だ。それがかえって本編のすさまじさを際立たせていたと思う。

数日たっても余韻が消えず、この気持ちは何なんだろうと思った。40代の私が、青春物語にここまでのめりこむのはなぜなのか。

自宅にこもっているにもかかわらず、ささいな行動が試される日常。新型コロナに対して「あ、これは覚悟を決めなきゃ」と思ったのが2月下旬。そこから5月末まで3か月、日々ありえないことがおこり続けて、自分が思っているより参っているのかもしれない。ありえない環境下でも仕事を普通どおりにまわすこと。アフターコロナの変化を見据えて心構えをすること。変化を受け入れるカロリーは思いのほか大きい。収束が見えないなか、張り詰めた気持ちを自覚したくないのかもしれない。そうして心の過敏さが極まったこの時に、ちょうど届いたのがこの作品だったのだ。

半年前でも半年後でも、ここまで共鳴することはなかったかもしれない。緊急事態宣言が明ける前日、という最高のタイミングだった。

どうやら最悪の未来を回避できそうな今、この作品が「上演」されたこと、「観劇」できたことは、いつか大切な思い出として思い出せそうな気がしている。


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