経験者だから言いたい緊急避妊薬の市販化とリプロダクティブライツとインクルージョン
先般からTwitterでBuzzfeedのこちらの記事が話題になっています。緊急避妊薬の市販化について厚生労働省が検討しているさなかで、日本産婦人科医会のアンケートの作為性に関する話です。
緊急避妊薬を薬局で買えるようにする。海外での事例が多いにも関わらず、日本では市販薬化が遅れています。このアンケート事例では、「性教育が不十分である」ことなどを理由に「今のままでは反対」という回答が54%となっていました。反対意見の根拠として、「緊急避妊薬を飲めばいいから避妊をしなくていい」と濫用することを想定していると思われます。
この記事の関連のツイートを見ていてリプロダクティブライツという言葉に行きつきました。実はこの言葉、よく知らない言葉でしたが、女性が自分の性に関して自己決定権を持ってよい。それを女性の人権として認めようという話です。特に、妊娠に対して自己決定権を持つ。子供を産むか産まないかを選択する権利がある、ということですね。
子どもを産むか産まないかをコントロールする。もちろん様々な避妊方法がありますが、100%万全な避妊方法はありません。さらに、避妊をする合意が到底できないような性暴力の被害もありえます。十分な性教育を受けていても、数%のリスクを回避することはできない。偶然、すなわち自分の行動でコントロールできない領域で、望まない妊娠をしてしまう状況は誰にでも起こるわけです。
私自身も、実は、23歳の時に中絶をしました。新卒で働き始める4か月前のことです。大学4年生の時に国家公務員を目指して不合格。1年大学を留年して、就職活動もうまくいかず。やっとのことで滑り込みで内定をもらった会社に入る直前の出来事でした。今から25年以上前の話ですが、新卒で入社して数か月で産休に入るなんて想像もできない時代です。(今でも難しいでしょう)就職活動で初めてぶつかった女性差別という壁。それを乗り越えてやっとのことで内定をもらったにもかかわらず、望まない妊娠で、その2年間の就職活動をすべて無かったことにして、就職せずに子供を産む。さすがに酷な選択だったと思います。子供を授かったら無条件に産むことを選択する、そういう選択をしたら美談になったかもしれません。ただ、自分にとっては、過去の自分を全否定して、その先の人生の可能性にシャッターが閉まるような道でした。
そこで私自身は自分のリプロダクティブライツを行使したわけです。ただ、その選択をしたことは、その後の様々な選択に影を落とさなかったかというとそんなことはありません。いかに理性で正しい選択だと頭ではわかっていても、その前後での身体の変化を通じて喪失感と罪悪感を感じ、いまだによみがえることがあります。では、自分の準備が整えば無邪気にまた妊娠してもいいものなのか?という問いは消えず。そういう点で、中絶という選択肢を取ったことは、その後の人生に大きな影響を与えます。命を葬ったことを他人に伝えずに平気な顔をして暮らしていて本当にいいのか?と思うこともあります。
では、当時、緊急避妊薬が薬局で買える社会であったらどうだったか。もちろん頼ったと思います。それで妊娠が回避できていたら。同じように就職して働いていたとしても、自分がどういう心境でその後の人生の選択をしていくことになったか、「たられば」を言っても仕方がありませんが、心に落とす影が少なからず減ったはずだと思います。中絶というのは、人生の選択について、強制的に踏み絵を踏まされるようなものです。運悪く望まない妊娠をしてしまった瞬間、踏み絵を踏むか踏まないか、その選択から逃げることはできなくなる。そんな苛烈な状況に追い込まれるわけです。そして、他人に中絶の体験を伝えなくても、社会のセンチメントを自分を責めることにつなげてしまう。中絶した私がこんなことをしてもいいのか?と、大きな選択をするときに自分に問うてしまう。
一方で、自分の選択をリプロダクティブライツという人権として守ろうとしてくれる人たちがいることが、正直驚きでしたし、私自身が自分の選択の結果を尊重せずに、その後も自分自身に選択の権利がないようにエクスクルージョンしていたということに気が付きました。運や成り行き上致し方なかった選択をしたとしても、それが個人の権利を狭める理由にはならない。心の底からインクルージョンの意味が分かったように思います。
反対意見の人はこう言います。十分な性教育をしていれば。正しい知識をもって正しい行動をしていれば。理想はそうなのですが、どんな人でも、差し迫った状況で理性が働かないことや、知識不足で選択を誤ることがあるのではないでしょうか。どんな賢くて理性的な人であっても、あとになって浅はかだったなと思う選択をしてしまうのが人間ではないでしょうか。自分が選択を誤らないで済んだのは、賢いからでも自制心を利かせたからでもなく、単に運が良かったお陰かもしれません。たまたま性被害にあわないのは運がよかっただけの結果でしかないのに、性被害にあってしまった人はその人に非があるからだ、と行動を責める。性に対する知識が足りないのは環境の影響も大きいのに、当人の自覚の問題だと責める。環境要因や偶然などの外的要因で意図しない状況に陥る人をそのように責めていると、いざ自分や自分の大事な人が不運に見舞われたときに、一転、責められる側に転落することになる。それで本当に良いのでしょうか。望まない妊娠をする可能性におびえて心理的に大きな負担を強いられた女性に対して、緊急避妊薬のアクセスを絞るのは、不運な人に対する懲罰的な姿勢だと感じます。
市販化を早めることにより陰で苦しむ女性が一人でも減ることを強く望みます。
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