自分勝手と自分軸のはざま

他人の言っていることよりも、自分の気持ちを優先して生きましょう。自分らしく生きましょう。

いろんなところで、ことあるごとに言われる。「自分の軸で生きること」が幸せな生き方なんだろうとは何となく分かる。

ちょっとしたことだと、付き合いの飲み会とか。「本当は行きたくないのにみんなが行っているから参加しとこう」ではなくて、行きたくないのなら行かずに自分の時間を持つ、ということの積み重ねが「自分の気持ちを優先して生きる」ことなんだと理解している。

でも、断ろうと思えば断れる飲み会(周りから「なんで来ないの?」ってちょっと思われることを気にしなければ断れる)ではなくて、一度「行く」と返事をした約束ならどうなんだろうとよく考える。

あるドタキャンがトラウマになっている(トラウマは言い過ぎかもしれないけど忘れられない)。3人で遊ぶ約束をして、1人が熱を出して当日連絡がきて、もう1人はその連絡の後に断ってきた。理由は「仕事が忙しくて疲れたから」。お店も私が決めていたし、洋服も着替えて化粧も済ませて「さあ、家を出よう」と思ったときに2人から連絡がきた。過剰反応かもしれないけれど、その日1日泣いて過ごした。なんだかないがしろにされた気分で、私との約束なんてどうでもいいと言われた気分で。

この日以来、どうしようもない理由でなければ約束をしたら断らないようにしている。でも、約束の日が近づくと頭をもたげてくる、「約束しなきゃよかった。自分の時間に使いたい」という思い。はて、これで断るのは自分の気持ちに正直な「自分軸で生きる」ことなのか、他人を傷つける「自分勝手」なのか。かつて私との約束を断ってきた人は、「疲れたから行きたくない」という自分の気持ち正直に従った、自分らしく生きる奴なんだろうか。

「自分らしく生きよう」が語られるのは、もっと大きくて、もっと重大な決断をするときの話なのかもしれない。転職とか結婚とか。でも私にとっては日々の細かいところで、他人に言わせりゃ「どっちでも好きなようにせい!」とどつかれそうな本当に細かいところで「これは自分勝手なの?自分の気持ちを優先してる良いことなの?」と悩む。

行きたくなくなりそうな約束は最初からしなければ解決、なのだけど、その時は気持ちがのってて約束しちゃったってこと、よくあるんです・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?