見出し画像

誰かの生き方に触れ、自分の生き方にきづく

おはようございます。
どんどん寒くなり、冬だなぁと思う瞬間が増えてきましたね。

写真は、先月長野で撮影した朝日です。
空、山々がとっても綺麗でした。

今日は、自分の行動、生き方について書きたいと思います。

友達や親兄弟、夫の生き方に触れるたび、今の自分の生き方に気づきくときがあります。

周りの人を見てみると、自分ばっかり注視していたら気づかないことに気づいたりしませんか?

周囲の姿があっての自分なのだなぁと思います。


ごめんなさい、今回、ネガティブなnotteです。

ちゃんと、自分の気持ちを言語化して振り返るために書いています。


最近は、「夫がいろんなことに挑戦していること」をきっかけに自分の生き方を見つめなおしました。

最近夫は、いつも7時起床だったところを5時起床にし始めたり、日記をつけ始めたり、食べたご飯を記録したりしています。


夫が、「今日も、○○ができた!」、「朝早く起きたら気持ちがいい!」と嬉しそうに報告するたびに、いちいち自分と比べてしまうのです。


自分も一緒に早起きしたり、何かを書いてみたりしても、それは夫の真似事。

自分から始めたことではなく、やってみようよと言われたからやっていること。

私ってだめなやつだなって思いが出てきてしまいます。

人から勧められて何かを始めること=だめなやつ なんてことあるわけありませんし、やってるだけいいことだってわかっています、

でも、自分では何も始められない、だめなやつだという思いが胸いっぱいに広がってしまうのです。


嬉しそうに報告する夫に、「よかったね」「すごいね」と返しながら、このどんよりとした思いがじんわりと胸に広がるんです。

嬉しそうな夫に寄り添えないなんて…との気持ちも生まれてきてしまいます。


こんな思いいうべきじゃないとわかっているのに、「夫はすごいね。えらいよ。」とつぶやく私は暗い気持ちを隠すことができません。

言葉の裏に、私なんて…という気持ちが透けて見えちゃったのだと思います。

夫は「nanaは自分に厳しすぎるからねぇ…」と言いました。
「俺はもともと”できない”人だから。nanaは、もともとなんでもちゃんとできる人だよ。」

「俺はね、新しいことやいいと思った手段をいろいろやりたくなっちゃうタイプ。でも、nanaは物事の本質を見てる人なんだと思う。」と、言われました。


”物事の本質を見ている”…

夫が言うように私がそうなんだとして、ただ、今それが何のいい影響を及ぼしているんでしょうか。

物事の本質を見ていても見ているだけじゃ何も進まない…。


温かい言葉をくれた夫に言い返すことなんかできなくて。
「ありがとう、ごめんね」と言うしかできませんでした。


自分の迷いは、自分で消化するしかない。
受け身なだけではない、ちゃんと動ける人になりたい。

この世界にもし自分だけだったら、自分がなかなか動けない人であることにも気づけなかったはず。
気づけてよかったはず。

気づけたから、そんな自分を、どうしたいのか。
どうあるべきなのか、考えたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?