昔のお話⑦ (高校生)

自分の考え方や自分がやりたいことを語る上で、自分の過去がとても重要になると考えました。全7回に分けて、過去のことを書いていこうと思います。

児童養護施設へ

高校生になると同時に、児童心理治療施設から児童養護施設に移りました。

また、誰も知っている人がいない中で、一から関係を築かなくてはならなかったので大変でした。

私がいた施設は4つのユニットから成り立っていて、その中でも私がいたユニットは中高生女子10人のユニットでした。

すでに、ユニット内で仲の良い人同士のグループができていて、また、元々の人見知りな性格と人間不信も相まって、最初はなかなか打ち解けることができませんでした。

ただ、一つ、とても嬉しいことがありました。

生まれて初めて自分の部屋ができたのです!

出会い

私は、前回書いた通り、いわゆる進学校に入学しました。

ただ、私がこの学校に入ったのは、良い大学に行きたかったからなどという理由ではなく、単純にここの高校が楽しいと言われたから、というのが理由です。

入学式を終えて数日後、担任の先生との面談がありました。


そこで私は言いました。

「施設出る前に100万は貯めないと」

それに対し、担任の先生は言いました。

「バイトより勉強をしろ。今貯めた100万なんて一瞬でなくなるけど、知識は減らないから」

この担任の先生との出会いによって、私の将来は大きく変わることになるのです。

高校生活

私の行っていた高校はとても自由な校風で、私服登校・髪染め・携帯電話の使用・アルバイトなどなど、法に触れなければ何でもOKというような高校でした。

そんな中、携帯も持たず、服も地味、髪を染めるお金もない!そんな私は、どうすればクラスに馴染めて、楽しい高校生活をおくれるのか考えました。

そこで思いついたのが2つ

①生徒会に入ろう!

②勉強できれば、最上位の子達と仲良くできるんじゃない?

①は、何かクラス以外のコミュニティに属しておこうという考えです。何でも良かったのですが、部活はお金がかかるので、お金のかからない生徒会に入りました。

②は、とりあえず、1学期中間で上位に入れば誰かしらと仲良くなれるだろうという考えでした。

その考えはなかなか正しく、生徒会では放課後にお菓子を食べながらお話しできる仲間ができ、また、勉強面では部活や生徒会の被らない日に集まって勉強会をする女子4人男子2人のグループができあがりました。

また、心配していたほど、特に浮くこともなく、クラスマッチなどではクラスの女子みんなで盛り上がっていました。

すごく自由で楽しい3年間でした。


アルバイト

そんな私ですが、アルバイトを一切やっていなかった訳ではありません。

高1、高2の頃は、ラーメン屋さんでアルバイトをしていました。

施設に居場所がないと感じていたのもあって、土日祝日まかない有りの所で働いていました。

同じ高校の先輩もいたので、すごく楽しい職場でした。

お陰で50万円強は貯めることができていました。


大学受験(高校)

楽しい高校生もあっという間に過ぎていき、気付けば高校2年の3学期。

先生方が“受験生0学期”という訳の分からない言葉で、私たちを煽ってくるようになりました。

相変わらず、1年生の時に仲良くなった6人で放課後や休日に集まっては勉強会をしていました。

ただ、私は将来何がしたいのか全く考えられず、携帯もなかったので受験に関する情報も乏しく、模試の志望校の欄にも、適当に近くの大学を書いていました。

ちなみに、文理選択は数学が得意だからという理由と社会が大っ嫌いだからという理由で理系を選んでいました(暗記科目が本当に苦手でした。)


そしてとうとう3年生。

担任の先生は、1年生の時の担任の先生でした。

3年生最初の面談で、将来何したいか分からないし、大学お金かかるし、やっぱり就職にしようかな、と言った私に先生は言いました。

「あなたは勉強する価値のある人間ですよ」

そして、医学部を提案してきたのです。

医学部ならば給付型の奨学金ももらいやすいし、将来も安定しています。


医学に全く興味がなかった訳ではなかったので、その日から私は漠然と医学部を意識するようになっていきました。

そして、とある大学の医学部を受験しました。

合格発表は担任の先生と確認しました。

受験番号がありました。

先生は、ほらやっぱり、といった顔で嬉しそうに笑っていました。


大学受験(施設)

なかなかバイトも入れず、部屋にこもって勉強ばかりしている私は、施設の職員からは“めんどくさいやつ”だと思われていたと思います。

同い年の子達のほとんどが就職を希望している中で、進学を目指していたのは私入れて2人でした。

ただ、もう1人の子は、ちゃんとバイトを沢山してお金を貯めていました。

そもそも施設では、勉強を頑張ろう!という空気感が全くないんです。

同じユニットの中学生からは「引きこもり」と言われ、職員からは「部屋にこもってないでみんなと過ごしなさい」「夢ばかり見てないでバイトをしなさい」「遅くまで勉強しないで早く寝なさい」などなど、勉強すればするほど、私の居場所はなくなっていきました。

医学部に行くと言ったときには「いい加減、現実を見なさい」と怒られてしまいました…笑

あまりにも進学で粘っていると、今度は「せめて行くなら指定校で行きなさい」と言われる始末。

職員の気持ちも分かります。

指定校なら結果が出るのも早いし、そうしたら家探しもバイトもできるし。

ただ、自分で計算してみても、私立でやっていける見込みは全くありませんでしたし、国立ならまだなんとか6年やっていけそうなのになぁと思っていました。

施設の職員だけでなく、児童相談所の方にも色々と小言を言われつつも、私は高校の先生だけを信じ、私立は一切受けませんでした。

そして、無事合格。

受かった途端にめちゃめちゃ褒めてきました。

なんなんだよ笑と思いつつも、喜んでもらえて良かったなと思いました。

ちなみに、もう1人の進学希望の子は、評定平均が足りず、申請する予定だった給付型の奨学金を申請できず、結局就職となりました。

なんだか、周りを見ていてもどかしい気持ちになったのを覚えています(施設出身者の大学進学について思ったことはまた今度書きます。)

卒業式

卒業式、周りがみんな袴の中、1人スーツで行きました。

卒業式、高校生活で最初で最後に感じることとなった“周りとの違い”でした。

本当は、卒業生代表で卒業証書を受け取る予定でしたが、スーツで壇上に上がりたくなかったので断りました。

みんな、普通に接してくれていましたが、内心、なんでこいつスーツなんだ?と思っていたとは思います。

新型コロナウイルス対策のお陰で保護者がいなかったのが救いでした。


そして式が終わった後。

いつもの6人で集まりました。

そこで、はじめて打ち明けました。

「実は私、施設育ちなんだよね。」

重くならないように笑って言ったはずなのに、今まで隠さないとと思っていた重荷がなくなって、涙が溢れてきました。

5人は「話してくれてありがとう」「なんかいろいろ繋がった気がする」と言っていました。

塾に行ってなかったり、携帯を持っていなかったり、体に絶対に触らないでと言ってきたり。

でも、そう思ってても、クラスがバラバラなのにいつも集まって、普通に接しててくれたのには感謝だし、この5人がいたから高校生活楽しかったんだなと思います。

まとめ

全7回分読んでいただき、本当にありがとうございます。

あんなこともあったなぁ、こんなこともあったなぁと懐かしくも、時に泣きながら今までの人生をまとめてみました。

これからは、19年生きてきて思ったこと・伝えたいことを少しずつ文字に起こしていけたらと思います。

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