ひまわりを棄てる
先週、私はものすごく落ち込んでいた。だから元気を貰いたいと思って、花を買った。黄色いひまわりを一輪。
家に持ち帰って花瓶に挿した。空気を読めないみたいな黄色が、正直忌々しかった。私はこんなに元気がないのに、腹が立つ。
その日、せっかく買ったひまわりを、ちっとも綺麗と思えなかった。
それから一週間、私は本を読んだり、大好きな映画を見たり、美味しいものを食べたり、街に出たり、色々な人の助けを借りて漸く元気を取り戻した。
ひまわりはまだそこにあった。忘れかけた頃に何度か水を変えた。切り戻しはできなかった。黄色い花弁の先は力なく萎れていた。
すっかり生気を取り戻していた私は、調子良く「ごめんね」なんて思いながら、ひまわりに手をやった。そしてその時、気がついた。
元気になっても、ひまわりを綺麗と思えない。
そうだ。よく考えたら、私はそもそも黄色い花がそんなに好きじゃなかった。
だけど、元気を出すには黄色が良いって、それが正しいって聞いたことがあったから。
ひまわりを選んだ時、私の頭は「正しくあること」でいっぱいだった。だから、こんなに疲れてしおれていたのだ。
元気な時なら、ひまわりなんて絶対に買わなかっただろう。だって好きな花じゃないもの。
項垂れる黄色いひまわりが、私の情けなさの象徴みたいで居た堪れなかった。
それとも正しさの呪いを吸い取って、私の代わりに倒れてくれたのだろうか。
今度こそ本当に申し訳無く思いながら、ひまわりを花瓶から抜いた。埋葬するみたいに紙で包んで屑入れに挿した。
いつも花を棄てる時は、どうしていいか分からない気持ちになる。まだ棄てるには早すぎるような。でもこれ以上置いたら遅すぎるような。
でもこの時はひまわりが、さっさと棄てなさいと言っている気がした。
初夏を連れてきた花は、さよならの時も潔く、黄色いままの姿だった。
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