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noteをはじめる理由

「うすいさちよ28歳独身」気づいたらうすいさちよと同い年になっていてちょっと驚いた。

今でもずっと子どもの頃の気持ちでいる。こうなりたい!と思えば人生はどんな方向にも進んでいける、とけっこう素直に思っているし、将来何をしたいかなって胸を踊らせたりもする。

ところがその一方で、人生の「ほんとのほう」を現実的に、地道にやっていっている自分もまたいる。たとえるなら、オセロの対戦席に座り、一手また一手と慎重に人生の盤を埋めていっているような感じ。夢を諦めたことはないけど、「現実的でかつ叶えたいこと」を「私の夢」と設定して、実現させるための現実的努力を積み重ねてきた。

夢を叶えているので、私の人生はそこそこ幸せである。友人関係、進学、就職、恋愛。
そりゃ私の意思でコントロールできる事ばかりではないから、ある時はけっこうひたむきにやってきたけど残念な結果に終わったり、ある時は思いがけない良い出会いを得たりした。人生がそういう感じだなっていうのが分かってきたりもした。

私はそんなふうなので、自分の人生に対して「良いね👍」という感じ。なにかトラブルがあっても、まあどうにかなるだろという健全な楽観思考も持てちゃったりしている。

ただ、この現実路線を生きる私が時々揺らぐのだ。夢選抜にて予選落ちした「叶えるにはたぶん現実的じゃない」の子たちが、すんなりと引退してくれるわけでなく、油断した私の背中をちょいちょいとつついてくる。
「いま始めるチャンスだよ!」「本格的に始めたらけっこういいとこまでいっちゃうと思うな!」。彼らは明るい。希望そのものだから。そして私が未来の選択に迷って、迷うことに疲れて弱ってしまった時にこそ、ふいに現れてポジティブパワーで私を励ましてくる。私はそれで少し元気になって、そして、また悩まされるのである。

人生のことをこんな風に改めて考えているのには理由がある。2ヶ月ほど前に交際中の彼からプロポーズをしてもらった。出会えてよかったと思える彼と結婚することもまた一つの「夢」であり、思い描く人生にするためにまた一手打ったところである。

結婚にあたり、大事な選択を控えている。そのひとつが、仕事。新卒から5年間働いた職場を辞めることにしていて、次の仕事をどうするか。いまの私は医療にかかわる専門職をしている。やりがいやキャリアのことを思うと満足しているけど、待遇面、専門性維持に求められる(私にとってはヘビーに感じる位の)自己研鑽のことを思うと、どうか。医療のほかに、やってみたいこともある。

そのほかにも、ライフスタイルが変わればきっとあらゆることに変化の波が起きてきて、どうやっても今までと同じ態度・行動ではいられないのだろうと思う。近い未来にきっと来るだろうその波を私はけっこう怖がっていて、もしそれが私を襲ってきた時、つかまって流されないでいられる頑丈な安全棒みたいなものが欲しいのだ。そのために、人生をどうしていこうか、考えようとしている。

友人Aに話したら、日記を書くといいと言われた。考えと気持ちがいろいろに変化するし、今しか考えないようなことも出てくる。書き留めておくと役に立つという。友人Bは、迷った時は人に話すようにしていると言っていた。聞いてもらううちに、自覚していなった自分の望みに気づくことがあると。

やりやすいのは長くなっちゃうかもしれないけど文章に綴ることだった。そういうわけで、noteを始めてみることにする。


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