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制作コンセプトの言語化

本来の意味の『コンセプチュアル・アート』ではないにしろ、自分の芸術活動に何らかのコンセプトを設定し、それを言語化する方法について書きます。


1・制作動機について話したり書いたりする。

単純率直に、自分自身の作品を制作した自分なりの動機を他者に伝える。コンセプト設定と直結した、一番シンプルな言語化手法。

インタビュー役がいたり、対談形式にすれば効果的な場合もある。


2・【問いかけ、問題提起】をする。

何らかの問題を提起する。

環境問題や人権などはテーマとして大きすぎるから、もっと自分の生活に引き寄せた具体的なこと。
例えば日常生活で当たり前のように感じて、無意識にやり過ごしているような事柄について、改めて考えて疑問を提示する。

(例、パソコンとスマホの画面はサイズの違いだけだろうか?
違いがあるとしたら、デジタル画像を制作する段階から、その違いを意識して制作するべきではないだろうか。
自分の作品をパソコンで見て欲しいのか、スマホで見て欲しいのか。)

その提示した問題が、実際に自分の作品に表現されていることが大切だが、作品の表現としては、問いかけるような形に徹するのも良いし、自分なりの答えらしきものを含めておくのも良い。


3・用語をしっかり定義してみる。

普段、なんとなく使われているが、じつはあまりしっかり定義付けをして使われているわけではないような用語。

文化的なジャンルであれば『芸術とかアート、古典や伝統、流行』など。

自分自身のコンセプト設定においての用語の定義は、単に学術的に定義したり、インターネットの辞典を引用しただけでは、抽象的で漠然とするだけである。

あくまで、自分が自分のコンセプトを論じるときの、個人的な仮の定義付けで良い。

受け取る側に用語の誤解が生じないようにするためであり、定義した用語をその一連の自分の文章・文脈の中で使用するための定義である。

用語の定義付けをする論理作業自体から、問題提起や制作動機が引き出せる場合もある。

結局のところ、コンセプト設定をするのは自分の活動と作品について、他者に興味を持ってもらい、考えてもらうことが目的である。

人々の好奇心や感性を刺激し、考えながら味わってもらい作品と向きあってもらう、その過程や結果において、感情の浄化作用(カタルシス)をもらたすような働きができれば良いと思う。


日々の生活で抱えていた、個人的な様々な漠然とした悩みや、感情の濁りのようなものに働きかけ、化学反応的な作用をもたらして、透き通る結晶のようなものに変えてしまう。

古今東西、ジャンルや表現形式はどのようなものであれ、優れた芸術・アートはすべて、そのような性質を持ったものであると考えている。


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