私には2歳年下の弟がいる。小さい頃、私は弟が可愛くて、ドラえもんが好きな弟のためにドラえもん変身セットを作ったり一緒に遊ぼうと頑張った。でも弟は変わっていて昔から周囲から浮いていた。1人でいるのが好きで、幼稚園や小学校の先生からとても心配されていた。諺辞典を全部暗記して披露したり、コロコロコミックのつるぴかハゲ丸くんが好きで鼻の下に舌がつくよう練習したり、学校に行きたくないから風邪を引くために裸で寝たりしていた。家族でどこか遊びに行く時も行きたくないと主張し、引っ張っていかれることが多く、不貞腐れたままでいることも多かった。そのくせ、皆で行ったプールでは1人で楽しみすぎてどこかに行ってしまい迷子になったりした。

父は妹が2人だったため、弟は唯一の後継だという事でとても期待されていた。私の方が早く産まれたのに、男というだけでずるいという思いもあったが、弟があまりに変わっていて周囲から浮いているので羨ましいより心配の方がずっと大きかった。

弟は本が好きでずっと図書館にいたり、服を裏表反対で着ていても気がつかなかったり、冬でも半袖半ズボンという格好をしていて悪目立ちしていたので、私の友人にはナイーブな美少年と言われていた。全然美少年ではなかったのでディスられていたわけだが。私には弟と年子の妹もいる。妹は一つ上の兄が変わっている事でバカにされることが嫌で堪らなかったようだ。妹は努力家で勉強も運動も良くできたし、顔も可愛かった。頑張っている自分にはどうしようもない事でバカにされるのが嫌だったのだろう。母は弟が発達障害なのではないかと心配していたようだが、学校では違うと言われたようだ。今の時代だったら違っていたのかもしれない。高校受験では父と母がつきっきりで勉強をみて、私と同じ高校に入学した。ちなみに妹はもっと偏差値の高い高校に入った。私と弟が進学したのも進学校であったが、その後部活の顧問の先生に弟は最下位で入学したと告げられた。情報漏洩がひどい。

弟は大学に入って初めて友だちと認めてもいい友人ができたようだ。弓道部の仲間だ。それまでは友だちになろうとつきまとわれて嫌だ嫌だと家で文句を言っていることが多かった。弟は背が低く女性の平均身長くらいしかないが、大学に入って、自分と同じくらいの男子が沢山いることが嬉しかったと言っていた。オシャレに気を使うようになり一風変わった帽子を被ったり、俺はグルメになると宣言したりしていた。でもその後、友人の結婚式に参加した際、お祝儀を一万円しか包まなかったらしく(何かで一万円でいいと見たらしい)、普通は3万円だと年賀状に書かれていた。さらに久しぶりに友人に会わないかと言われ喜んで行ったらネズミ講のお誘いでショックを受けていた。でも普通に友人ができた弟を見て私は少し安心していた。故郷は狭すぎて弟は浮いていたけど、都会に出れば大丈夫だったのね、と。

就職氷河期だったが、弟はSEになりたいと就職活動をして銀行系の会社に就職した。よく考えると超就職氷河期だったのにすごいことだ。社会人となった弟であったが、人から浮いていても気がつかない、むしろその方がよいと思っていそうな弟でも馴染めない毎日が待っていた。スーツを着ていかなくてはならない情報が弟はだけに伝えられず、母が後からスーツを持って行くことになったり、仕事が与えられなかったりしていたようだ。いじめだ。弟は独り言が多くなり、夜中に奇声を上げることがあった。元々変わっている弟はではあったが、流石に心配なレベルだった。両親もとても心配していたがどうしようもなかった。

そんな状況の中、母が亡くなってしまった。私は自分も生きていけるかわからなくなるくらいの精神状態となったが、弟がとても心配になった。職場のメンタルヘルスに相談に行き弟のことを相談すると、発達障害ではないか、と言われた。その頃、大人になってから診断される発達障害が注目を集めていた。私は弟に発達障害について聞いてきたことを伝えて検査をしてみてはどうかと伝えた。弟は自分で病院を探して検査を受けて、発達障害だと診断された。父はそんなはずはないと今も認めていない。弟は発達障害は周りのことが分かりにくい代わりにある分野では際立った能力があるとする本を読み、自分もそうなのではないかと思いたいようだ。会社では発達障害であるということで配慮をしてもらえたようで、前よりは穏やかに仕事ができるようになったようだ。でも、はっきりと聞いたわけではないが、障害者枠として働いているので他の同期に比べると給料は上がらないだろうし、仕事も高度なものは任せてもらえないのではないか、と想像する。

発達障害は障害なのだろうか?弟と一緒に生活していた時、イライラすることが多かった。洗濯をする時、何故か洗剤を入れずに洗濯するので洗濯機がものすごく臭くなった。料理を作ってくれるのはいいが、調味料は入れず、牛乳を多用するので、味気ないものとなった。母がいなくなってから、布団の手当てをしないので、布団が破れて部屋の外までワタが出てきてとても汚くなった。皆で何か食べる時も、気を使うことがなく大皿から自分の好きなものだけ沢山食べた。でもこういうのは皆やりたくても我慢していたり、面倒でもやるようにするものなのではないだろうか。

最近、マイノリティの権利について注目が集まっているが、その他大勢のマジョリティだって日々たくさんの我慢をして暮らしている。多様性が重要だと叫ぶなら、マジョリティの人の権利も保障して欲しいと思ってしまう自分がいる。多様性を認めて皆がまとまって生きていくにはどうするのがいいのだろう。とりあえず私は自分に焦点を当てて自分の個性を認めて我慢しないように生きて、他人がどう行動していても引きずられないようにしたい。

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