BLへの最近のもやもやを言語化

私の母はBL黎明期からの腐女子だった。山上涼子「日出処の天子」、萩尾望都、吉田秋生からJUNE、絶愛、名前を忘れてしまったエロイBLたちまで。思春期に母が隠し持っていたBLマンガをこっそり読んでいた私も多分に影響された。そういえば高校の時にクラスメイトの女友達が、同じクラスの男子2名の距離が近いと言い出ししばらく観察ごっこをしていたこともあった。今思い出すとあれも腐女子の行動だった。その後住まいも変わって自分でBLマンガを買う勇気もなかったし、私生活で色々と忙しく、BLの存在は忘れていた。が、しかし、不妊治療中に眠れなくなってたまたまAmazon primeで見たおっさんずラブ(シーズン1)に1年遅れでドはまり。シリーズを中毒のように繰り返しみたり、頭の中から離れずに生活に支障が出たりと生活が変わった。インターネットで多くの女性が1年前に同じようになっていたことを知り、さらに映画化されるタイミングだったので、とても盛り上がっていてツイッターに登録して皆の考察を読み漁った。そして、自分の考察から生まれる妄想を二次創作として言語化するサイトpixivがあることを発見。膨大な二次創作を読み漁るようになった。以前は母が恥ずかしそうに絶賛していたレスリーチャンのブエノスアイレスやフルモンティくらいしかBL映画はなかったと思うが、ネットサーフィンで「どうしても触れたくない」というBL映画を発見。そして原作がマンガであることを知る。さらにBL作品のまとめサイトちるちるにたどり着く。私は社会人で昔に比べたら金銭的余裕があるし、今は電子書籍があり本屋で恥ずかしい思いをしなくてもBLマンガを購入できる。ちるちるで評判の高いマンガをかたっぱしに電子書籍で購入してむさぼり読むようになってしまった。最初は携帯で見ていたが、画面が小さすぎて目がかすむようになった。そこで、BLマンガを読むためだけにAmazon Kindle fireまで購入してしまった。おっさんずラブは子どもを保育園に預けて仕事をするべき時間に罪悪感を感じつつ一人で映画館にまで見に行った。さらにはドラマシリーズと合わせてブルーレイを全て購入して公式ブックまで買ってしまった。人生で最大の課金だ、旅行と不妊治療以外で。
   私は苦しかった。色々とやらなくてはならないことが沢山あるのにどうしてもBL中毒から抜け出せない。なぜこんなにBLにはまるのか、自分で納得できればこのBL中毒から抜け出せると思い、BLに関する書籍も読み漁った。そして、学術的にもBLについて研究されている溝口彰子さんのような方々がいることを知った。本の中で「BLは傷ついた女性たちが描く理想の社会」なのだというニュアンスのことが書かれており非常に納得した。その後私は女性蔑視、ミソジニーという考えを知り、フェニズムにたどり着いた。最近、松田青子さんの「持続可能な魂の利用」を読み、私の中の疑問が言語化されたと爽快感を感じた。この小説に描かれているほど私はひどい目にはあっていない。でも、母は無意識であったかもしれないがミソジニーを感じていたと私は思っている。今は亡き母。母は大学院を出て助手をしていたが、結婚を機に退職して専業主婦となった。さらにその後私を筆頭に5年で4人の子が誕生。母曰く無計画だったらしい。父は研究に邁進しており子どもの世話はワンオペで行っていた。長女だった私は小学生時代に母に怒鳴られたり家から閉め出されたりした記憶がうっすらある。高学年になって取っ組み合いに私が勝ってからは母は私にはれ物に触るように気を遣うようになった。晩年は仏みたいだった。一方で父は母亡き後、AKB48にどはまり。食事会や飲み会で必ずAKB48は社会を現わしていると熱弁していた。私の結婚式でも。AKB!!女性を競わせてランク付けする、まさに女性が幼少期から苦しめられる目線そのものではないか。父のことが大好きだと公言してはばからなかった母は父が定年した後、父との共通の趣味を見つけて没頭するようになった。父と衝突することの多い私が、自分のことを考えてもいいのではないかというと、「私はお父さんに引っ付いて生きているだけだから」と言っていた母。私が結婚するときに、「女性の幸せは男に守ってもらえることだが、私が選んだ相手ではそれができないけど大丈夫なのか」といった父。私がBLにはまる理由はミソジニー日本社会に対するやりきれない怒りに対処する方法を見つけるためだったのだ。
  でも最近、私はBLにもやもやしている。BL作品というか、BLが映像化されることになのかもしれないが。おっさんずラブでは世の女性の多くと同じように林遣都さんに魅了され、映画の後に参加されていた舞台まで見に行った。でも、正直がっかりしてしまった。母は舞台が好きでよく見に行っていたので私も小さいころから舞台を見る機会が多めだった。その影響もあって、趣味で演劇サークルにも所属していた。なんというか、林遣都さんの舞台をみて、おっさんずラブは幻想ですよと突きつけられてしまった。また、その後のおっさんずラブシーズン2ではミソジニー日本社会が描くBLになっているようでとても傷ついてしまった。さらに最近、「美しい彼」が映像化されている。おっさんずラブのことがあったので警戒していたが、Tverというアプリで無料で家族の目に触れさせることなくみられることを知り、ついうっかり見てしまった。評判がよい「美しい彼」。その気持ちは理解できた。マンガからそのまま出てきたような羨ましいビジュアルのメインカップル、幸せなストーリー。でも私はもやもやしてしまっている。BLに主演すれば人気が出るという形ができてしまった。BLでは男性しかいらないので、ミソジニー日本社会の解消に役に立たないどころか逆になってしまう感。
   日本のテレビを見るとこの頃は気が滅入る。ドラマもやはり気が滅入る。BLだけは聖域だったのに映像化のニュースがあるとうっかり知ってしまう。男性になりたいわけではないが、どうしても男性を羨ましいと思ってしまう自分。これが最近私がBLにもやもやする理由なんだ。BLに代わる「傷ついた女性たちが描く理想の社会」の見つけ方を考えるときが私にはきたのかもしれない。


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