短編小説『麻雀』#3

『デッドボールです!小林選手の背中にボールが当たりました!これでツーアウト一、二塁です!』

 一体ピッチャーはどうしたのでしょうかと実況が解説に訊ねている。しかしそんな話の内容など、みん荘に居合わせた誰の耳にも届いていなかった。信じられないことが起こったとでもいうような顔で誰もがテレビ画面に見入っている。そして確実に流れがライオネスの方に向き始めていることを感じ取っていた。ベンチへと戻る小林にスタンドから拍手が送られ、代走の選手がグラウンドへと飛び出した。

 三番打者の広田が左打席に入る。そしてベンチから悠馬がネクストバッターズサークルへと入った。

 この打者さえ塁に出れば悠馬に打席が回る。悠馬ならきっと打ってくれるはずだ。

『広田選手は今日チームでただ一人2安打を記録していて調子は抜群です!』

 さきほどの小林と対照的に打席に立つ広田は自信に満ちた顔つきをしていた。普段から勝気な性格で知られている広田はこの大舞台でも物怖じしない度胸を持っているようだった。

 ストライク、ボール、ストライクと続きカウントは1ボール2ストライクとなった。ジャイアンズの投手は前よりも強気な態度でコーナーを攻めている。後がない状況での気合いの入った投球に広田も必死で食らいついていた。

 投手から4球目が放たれる。広田は軸足に溜め込んだ力を前方に移動させ、右脚で思い切り地面を踏み込んだ。

 しかし、ここで広田の勝気な性格が裏目に出てしまう。ジャイアンズの投手が選んだ勝負球はチェンジアップだった。タイミングを完全に外された広田は最後の意地でどうにかバットに当てたが、打球は力弱くころころと三塁側に転がった。

「よし!」

 金歯男が歓喜の声を上げた。万事休すである。全国のライオネスファンのため息が聞こえるような気がした。

「ミスしろタコ!」

 ダミ声がテレビ画面に向かって叫ぶ。ダミ声の叫びに動かされたのかのようにジャイアンズの投手がマウンドを駆け下りた。打球の方向を考えると、ここは三塁手に任せるべきである。三塁線の打球を投手が捕球すると、一塁に投げるのに難しい送球体勢になってしまうからだ。自分が試合を決めるという意気が投手の判断を誤らせたのかもしれない。案の定、ジャイアンズの投手が無理な体勢で一塁に送球したボールは外野の方向へとそれた。一塁手が思い切り腕を伸ばす。一塁手はなんとか捕球したがベースから足が離れたような気がした。一塁塁審が腕を広げる。

『セーフです!ライオネス、暴投で首の皮一枚つながりました!』

 テレビを囲んでいた男たちが一斉に声をあげて喜んだ。麻雀にしか興味がないと思っていた者たちもどうやら地元チームの勝利を密かに祈っていたらしい。金歯男が周囲を睨みつけると男たちは即座に押し黙った。

「おいおい、にいちゃんの言った通りになってるよ!」

 ダミ声は俺のことを預言者とでも言うようにありがたがっている。しかし、勝負はまだ終わっていない。


『この男まで打席が回ってきました!若き大砲!球界の至宝!河野悠馬!球場の熱気はすでに最高潮です!』

 ゆったりとした足取りで悠馬は打席へと向かった。この男だけは、自分に打席が回ってくると確信していたのかもしれない。

 打席に入った悠馬が真っ直ぐな眼で投手を見据える。

『河野選手はこの日本シリーズで一本もヒットが出ていませんが、監督は代打は送らずに四番に全てを託すようです』

 代えろという野次と応援の声が入り混じってスタンドは異様な雰囲気に包まれていた。奇跡的な展開を目の前にして、みん荘の中は驚くほど静まりかえっている。悠馬の一挙一動に誰もが息を飲む。

「おい!みんな野球みろ!すごいことになってんぞ!」

 みん荘の扉を開いて慌ただしく何人かの男たちが入ってきた。しかし勢いよく入ってきた者たちに目もくれず、テレビを凝視し続ける俺たちの姿を見た男たちは黙って輪の中に加わった。

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