まもなく禁酒10周年!なぜ禁酒者は攻撃されるのか。
現在45歳の僕ですが、結婚2年目の36歳の時に禁酒をしてから、約10年が経ちました。
前回、禁酒をして悪かったこと、を書きましたが、禁酒をすると様々な攻撃に合う、これは事実です。
ではなぜ、飲酒という、個人的な習慣を止めただけで攻撃に合うのか。
禁煙しても、ドカ食いの習慣をやめてダイエットしても、周りから褒められこそすれ、何かネガティブなことを言われるってことはないですよね?
ではなぜ、こと飲酒に限ってはそれがおこるのか。
禁酒者の存在は、伝統的に続けてきた社会的風習と、またそれを利用する一部の利権者が多額の費用を投じて、あれやこれやの手口で人々を洗脳し、苦労して刷り込んだ
飲酒は良いものだ
という価値観を、壊そうとするからに違いありません。
言わずもがな、国もそれを利用して、税金として国民から搾り取れるものを手放したくないので「健全な飲酒」に関しては法律で認めています。
でも健全な飲酒ってなんでしょうか?
健全な覚醒剤の使用
健全な大麻の使用
となにが違うんでしょうか?(合法であるという以外)
お酒はドラッグです。アルコールには中毒性があります。飲めば飲むほどもっと欲しくなり、満たされることはありません。過剰摂取は死に至り、習慣的に摂取し続けると依存症になります。
美味しいから
軽度の飲酒は血行が良くなり、健康に良い
ワインのポリフェノールには抗酸化作用がある
楽しくなるし、ストレス発散になる
というメリットを享受するために、軽度のドラッグ(ホントは軽度じゃないけど)を常用することに疑問を感じさせなくする構造。
むしろ、お酒の害を訴える存在は、変わり者として、市民自らがすすんで排除する「魔女狩り」のような構造が、誰かに作られたものだとしたら?
僕の禁酒のきっかけになった「禁酒セラピー」の著者、アレン・カーさんの前著「禁煙セラピー」のなかに、こんな言葉が有りました。
『タネが分かった後に、そのマジックを信じている者がいたら愚か者だ』
ほら、やっぱり炎上するでしょ。
禁酒者は地動説を唱えるコペルニクス
禁酒者はカモメのジョナサン
群れを飛び出るものにはお決まりのアレが待っています。
社会的風習の一部になっている。
結婚式やお祝い事などの乾杯、お葬式での献杯など、人生の節目節目でやってくるイベントに欠かせないのがお酒です。
忘年会や打ち上げ、開店祝い、新商品発売記念のパーティーのときなどにも、お酒は欠かせませんよね。
お祝い事やめでたい事、またその逆に不幸があった時もお酒を酌み交わすことによって、人々の絆が深まると信じられています。
結婚式、主に披露宴では参列者の間を新郎・新婦がお酌をして回って、挨拶をするというのが通例になっていますし、会社の忘年会などでは部下がすすんで上司にお酌をしに行き、一年の感謝を伝え、来年もご指導お願い致しますという「何それ?ゲーム」がいまだに行われています。
こんな時に「自分はお酒は飲まない」なんてことを言おうもんなら、何とも言えない、うすら寒い空気が流れます。
今日は運転があるんでこれで・・・と、手に持っているノンアルコールビールを差し出し、お酌を受けて無事ノルマ終了。
・・・ホッ。
飲酒運転の刑罰が厳しくなってからは、普段飲む方がノンアルコール飲料で過ごすことも多くなったので、ハレの席でお酒を飲まないこと、に対する空気感もだいぶ柔らかくなり、
「俺の酒が飲めねーのか」
的な発言は、おとぎ話の世界になりましたが、結婚式や葬式などでは最初の一杯は強制的にアルコールを注がれてしまうこともこともあり、さすがに僕もその時は一口だけ舐めるか、飲んだふりだけしてやり過ごすようにしています。
これは古くからの風習、によるものが大きいでしょうが、それを強化するようにテレビCMなどでは、勝利を祝うスポーツチームが猛々しくビールを飲み干し、美男美女がカクテルを片手に優雅でセクシーな時を過ごす、といったイメージが次から次へと流れてきます。
お酒はみんなで集まる時は欠かせない
お酒でみんなが楽しくなる
お酒は大人に許された最高の嗜好品だ
という空気を醸成し、それをぶち壊す異端者は排除する。それを無意識レベルにまで刷り込むから厄介なんですよね。でも、そのために大量の広告費を投じているわけですから、効果が無いわけがありません。
社会的風習を利用して、自分たちの商品を売るという作戦は、見事に成功しているといえます。
宗教儀式になっている。
神道におけるお神酒、キリスト教におけるキリストの血であるブドウ酒、など、お酒は宗教とも結びついています。
お酒は不浄のモノを清め、永遠の命を得るための神聖な物であるという価値感は、どうにも覆しがたいものです。
でも待ってください。
それはあくまで、宗教儀式の中においてだけであって、日常的に楽しみとしてお酒を飲むということとは、本来何の関係もないはずです。
まして、前後不覚になるまで泥酔することなんて、どの宗教でもすすめている教えではありません。
また本来、飲酒が禁止されているはずの仏教徒であっても、「般若湯」などと称してお酒を飲むのは、守るべき戒めよりも、酒に寛容な日本の社会風俗に迎合してしまった姿と言えるでしょう。
先日、親戚がボリビアから来日したんですが、現地の飲酒事情について教えてくれました。
ボリビアはキリスト教国で、カーニバル(謝肉祭)が毎年、4日間に渡って盛大に行われるらしいんですが、大量の飲酒が原因で、沢山の人が喧嘩をしたり、交通事故が起きたりするそうです。神様からの恵みを祝う神聖な祭りのはずなのに、毎年そんなことが起きて悲しい、と言っていました。
日本においても祭り=酒=喧嘩
という図式はむしろ男らしさを競う勇壮な姿、ぐらいに思っているフシがあるような気がするのは僕だけでしょうか。
いずれにせよ、本来の宗教的意義から外れた飲酒は、どの神様も推奨していないということは間違いないと思います。
大きな利権構造になっている。
もし現在の日本で飲酒が禁止されたら。酒造会社、また飲食店、特にバーや居酒屋、クラブ、スナックなどそこで働く、多くの労働者までもが路頭に迷うことになります。
その一方で、アルコールが原因による交通事故。ケンカやトラブルによる怪我、殺人。長期の飲酒が引き起こす病気、依存症、その果ての自殺などは
ゼロになります。
多くの人をアルコール漬けにして、挙句、大量の医療費をかけて治療して、
まさにマッチ・ポンプ状態。
それでどこにお金が入りますか?
アルコールにかかった税金、医療費にかかった税金。飲酒が無くなれば両方ともゼロになるはずのお金は、誰のフトコロに入るんですか?
サン=テグジュペリ(著)「星の王子様」に出てくる、3番目の星に住む、酒飲みが言います。
王子様:「なぜ酒なんかのむの?」
酒飲み:「忘れたいからさ」
王子様:「忘れるって、何を?」
酒飲み:「はずかしさを忘れるんだよ」
王子様:「はずかしさって?」
酒飲み:「酒をのむはずかしさを、だよ」
そこまでして、酒を飲みたくなってしまうのは、誰のせいでしょうか。
そんな人間を作り出して得をするのは誰でしょうか。
僕は酒を法律で禁止にしろとか、酒造メーカーは悪だ、とか言うつもりはありません。
ただ、お酒を飲む我々が、ちょっと待てよ、と。
自分たちが飲んでいるお酒って、
いったい何なんだろう?
お酒ってどういうものなんだろう?
と考えてから、無意識に刷り込まれているイメージを、一度、再確認してから飲んでほしいとは思います。
理性的に考えると、お酒を飲む理由って、自然消滅してしまいます。
それで僕はお酒をやめました。
経済のためと言うならば、日本の酒造メーカーが製造できるアルコールを全て、工業用や自動車などの燃料に転嫁出来たら。資源の乏しい我が国のエネルギー問題に、多少なりとも寄与できるんではないでしょうか。
今日はここまで!
次回また続きをお話ししますね、では!
□□□□□□□□□□□□□□□□□□
投稿が少しでも気になったら、スキ・フォロー・コメントなど、何でも結構です。リアクションしていただけると、砂漠のオアシスのように感じます。
反応してくれた方の投稿も読みたいので、勝手ながらフォローさせていただきます。
シェアなんぞしてくれたら、天にも登るくらい嬉しいです。
よろしくお願いします!
□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【Twitter】やってます。
https://twitter.com/takakinfitness
【Facebook】個人情報さらしてます。
https://www.facebook.com/takashi.suganami.92
【Instagram】ほとんどやってません、何故ならガラケーだから。
https://www.instagram.com/takakinfitness
人生色々有りましたが、今は筋トレ好きが極まり、トレーニング関連の事業を展開するべく奮闘中です。資金面・ノウハウの面など、まだまだ準備することが沢山です、是非サポートをお願いします!