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三浦綾子 著 『塩狩峠』驕る人間にならないように。

オーディブルで、『塩狩峠』を聴きました。

最後30分は泣きっぱなしでした。
読むのなら、途中で進まなくなっていたかもしれませんが、
オーディブルなので、容赦なく進み、泣きながら終わりまで聴けました。

1973年、50年も前に出版されたので、
娘は知らなかったし、若い人は、三浦綾子さんの事を知らない人も多いようです。

私は、これを中学の時に読んで、深く感銘しました。
大学の時に、『氷点』を読んで、そんなバカげたことが出来るのだろうか?
人は、それでも、愛せるのだろうか?と疑問に思ったものです。

先日、ある方と、塩狩峠、氷点の話になって、もう一度読み返したいと、
思ったのでした。

私が、今回、印象に残ったのは、主人公 永野信夫が、三堀峰吉という同僚を助けようと思っていたが、実は、驕った心があったと告白文を書き、それを読むシーン。

私にも、鍼灸師として、患者さんを助けたい、力になりたいと思う、その心の中に、自分が上という思いあがった気持ちがあると、思いました。

患者さんが、「先生のおかげでよくなりました。」と言われたら、
「いえいえ、私は、鍼を刺しているだけ、それに反応するあなたが、ご自分で治しているんですよ。」と口では言いながら、優越感に浸っているのではないかという、思いあがった自分を、今も認めたくない感情が沸き上がります。

信夫の三倉の上司、和倉礼之助が、信夫の事を褒め、三倉と比べたたら、雲泥の差だとか言うが、それが、世間の感覚だろうと思います。
立派な人間、勤勉な人間は、偉いというのは、世の常識ですから。

しかしながら、人間の価値というのは、それでは計れません。

私は、中学の時に、親切にするという行為そのものが、
驕りではないかと思ったのです。
知り合い、上司、友達に親切にするのは、何か下心があるのではないか、自分で意識していないにしろ、見返りを期待しているのではないかと。
しかし、知らない人、道で会っただけの人、電車で席を譲る、それは、
見返りがないから、真の親切心かと思い、また、疑問が浮かびました。
自己満足ではないかと。

その答えは、いまだに出ていません。

何か、哲学的になってきたので、この疑問は、まだ、温めましょう。

『塩狩峠』は、クリスチャンの信仰がベースになっていますが、人がどう生きていくかという道しるべになると感じ、何度も読み返したい本です。


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