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ふるせらる(1) 働かないアリに意義がある

働かないアリに意義がある 著者:長谷川 英祐
読了。

もともとこの話は2対8の法則とかパレートの法則とかで聞いたことはあった。ただログミーの記事を読んでてそれだけじゃないと知って改めて興味を持ったので早速購入した。

2対8の法則というのは全体の成果の8割を2割の人が出しているとか、クレームの8割は2割の人とかそういうもの。仮に優秀な2割だけを取り出してチームを作ると、またそのうちの2割だけが成果を出すようなことが起きる。知らなかったのはこれを説明するモデルとして個体の反応閾値によって生じているのはということ。

反応閾値とはどのくらい暑くなったら団扇であおぐかとか、汚くなったら部屋を掃除するかといった、暑がり寒がりやきれい好きみたいな個人の性質。春先でも暑がりの人は団扇をあおぐ。初夏になればまたもう一人あおぐ。梅雨、7月、8月は全員あおぐという風にそれぞれ閾値が異なると。きれい好きなら、ちょっとでも汚れていればきれい好きの人が掃除する。それでも足りなくて汚くなってきたら、ちょっときれい好きの人も手伝う。それでも手に負えなければあまり気にしない人も手伝う。そんなモデル。

通勤で使う駅前は誰か掃除してくれているんだろうなと思っていて結構きれいなのだが、知らない誰かの力で社会は回っているなと思ったりしていた。それがこの反応閾値モデルで説明がつくなと思ってはっとした。

この2割の人で8割が片付くというのは効率的ではない。全員がばばっと掃除すればあっという間に片付く。だがアリの世界はそうなっていない。ここはシミュレーションでの結果しかないが、全員が働いてしまうモデルだと全滅することがあることが分かっている。意外な感じもするがそうなっている。先ほどの例だとちょっとでも汚れたら全員掃除というモデルだと、綺麗さはとても保たれるが、何らか災害などでいくらやってもキリがない時に全員疲弊してしまう。そして本来別にやらないこともできなくなってしまう。この前のコロナのような伝染病でもそうだが、全員が同じだと等しく病気かかって滅亡してしまうのと似ている。

つまりここから考えられるのはダーウィン以来の自然選択説は適者生存であることを説明したが、効率的なのが適者とは限らないということだ。今のAIなんかでは過剰学習が問題になることがある。特定の条件下では高い一致率をはじき出せるが、別の条件下になった際に全然ダメな結果になってしまう。生き物は滅ばなかったものが今ここにいて、生産性の最大化を目的にして生きてはこなかった。滅亡しないこと、これが今の結果なんだなと。

たしか雀鬼と呼ばれた桜井氏とか投資の神様の話を聞くと勝負事は勝つことではなく、負けないことが大事というがそれと似ているなと思った。

スピードを保てばいいのに、さらにスピードを上げようとしている。

大事なことは、トップスピードに乗ったらフォームを保ち、スピードを維持することだ。多くの選手は、トップスピードから、さらに速くなろうとする。それでは、速度にテクニックが追いつかず、逆に遅くなってしまう。トップスピードに乗ったら、それ以上は速くならない。だからといって「その記録を超えよう」と焦ってはいけない。速く走ることばかり考えて、逆に遅くなる選手はたくさんいる。速く走ろうなんて考えるな。「自分の走りをすることだけ」を考えたほうがいい。

ウサイン・ボルト

もう昔ほど効率性とか言われなくなった。それでもまだ効率性を要請される。効率的という事は無駄をなくすことだが、余力を無くすことでもある。在庫を持たないというのもまさにそう。労働力も余力がないということ。過剰学習は別条件への適応が弱いが、余力が無いという事は災害や事故に弱いということでだいたい同じだ。日本や中国、韓国は世界に先駆けて少子化になるが効率化モデルの見直しを迫られるのかなと思う。

書には他にチーター問題(フリーライダー的なあれ)や血縁選択・群選択などについても書かれている。そちらについてもまた少し感想をまとめたい。


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