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コラムは卵

 テレビを観ていたら、芸術家の方が自分の描いた絵を「排泄物」だと言われていた。テレビの中の人たちは笑っていたけど、私はなるほどと妙に納得した。

 私は輪に入るのが苦手だ。みんなが笑っている時、その話題は誰かの失敗だったり誰かの悪口だったり、ということが多くて私の中では全く面白くないのだ。その場の人と笑いを共有するために誰かのことを笑い者にしたくない。例えば友達同士なら先生の悪口、母親同士なら子どもの失敗談、夫の悪口、そこにいないママ友の話題。コミュニケーションのためにそれは必要だよ、というアドバイスもあるが、私の性質上それに加わることは「無理」に繋がる。
 私が良い人であることをアピールしたいわけではなくて、最近知った私の特性は人の気持ちを感じ取り過ぎること。だから、どうしても言った側より言われた側の気持ちになって、気持ちが暗くなってしまうのだ。
「いい人アピール」だったらもっと気持ち良いはずなのだが、私のそれは今までそうやって人と交れなかった苦労を伴うので、必ずしも良いアピールではない。でもここに確かにある、特性の話。

 そんなこんなで、きっとちょっと変わっている私の興味はいつも何かの仕組みにある。機械の仕組みというより、社会やコミュニティの仕組みだったり、人が言語を学ぶ仕組み。教育者という仕事はそれにとてもマッチしていて、自分の心が求めることに没頭できるのは楽しい。
 
 ただそこで困るのは、やはり人の輪の中では多少無理が出てしまうということ。私が一番楽しいと思うことは人と共有しにくい。社会の仕組みの話で盛り上がる友を探すのは至難の技だ。

 友や家族との会話の中で自分の想いを整理出来ない私が、ふと気持ちよくなる瞬間がある。それはコラムを書く時。いろいろな瞬間に頭の中に何かの答えが湧いてきて、「なるほど、そうだね」と自分の言葉に自分で答えている。それがとても素敵な言葉に思えるので、何かに書き留めておきたいと始めたのがコラム。それが始まったら、何をしていてもパソコンを開いて言葉を書き留めることにしている。

 心が整ってスーッとする瞬間。これで私は心の整理が出来て、一人悶々とせずに一日を過ごせるのだ。その気持ち良さに、「排泄物」という言葉は確かにマッチしているけれど、私としては少しでも私が産んだものが何かの仕組みに役立てられたらいいな、という願いを込めて「卵」と呼ぶことにしよう。

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