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本の感想(勢いでメモ 絶賛更新中)

 紹介された本を読んでいるが、読みながらいろいろと頭の中に浮かんでは消えるので、メモしながら読むことにする。読了するまでにこのnoteは更新され続けると思う。(読んでいる本 #新エリート教育

人を育てること

 本によると、アメリカで始まったのがカリキュラムを作っての一斉授業。工場で働く人たちを一律で育てるために始めた授業の延長線上とある。
ん?ちょっと待て待て。友人が、すごい良いセミナーに行ってきたよと聞かせてくれたのは、「日本人は従業員を育てるための教育をしているけど、アメリカでは経営者を育てる教育をしているんだって」という言葉。
話が違うやん?
 いや、でもよく読んだらそのアメリカでの一律授業では結局「人」を育てることは出来ないな、ということでちゃんと「人」を育てる教育をし始めたのがだいぶ前の話らしい。情報は常にアップデートしないとね。
 で、だ。問題は日本。寺子屋はもっとその個人個人の能力を伸ばす指導をしていたという。どこから私たちは同じ年齢というだけで一律の内容を同じ速さで出来ないと認められなくなってしまったのか。

 そこで同じ結論に行き当たる。なるほど。
アメリカがかつて行って失敗した方法を、日本は少し遅れて始めて今に至っている。この教育方法をアメリカが指示したのか日本が勝手にアメリカを追ったのかは知らないけれど、結局全然うまくいっていないというのが「今ここ」ってところだろう。私たちはもう既に他の人が「失敗だった」と思ったことを今も熱心に続けていることになる。

格差社会

 英語教育が小学校で本格的に始まる、という時に「結局これはアメリカの後を追っている形になる」と言われた方がいた。その言葉が深くこころに引っかかっていた。なぜなら私も全く同感だったから。英語教育を公教育で取り入れる際には、やはり全員に同じ形でチャンスが届くべきだった。でもそれは方法と基本的な考えがしっかりしていないと、進めれば進める程格差を産む。その内に「英語格差」なる状況が生まれてくるだろうとその方が言われたのが2011年頃。そして今、私たちは本物の「英語格差」を目の当たりにしている。そう、方法や経緯がその方の想像通りどんどん変わっていき、利権が絡んでおかしな方向に進んできた。
 今や「英語が好き」はキラキラワードで、親や先生が子どもの自慢をするのにも、多用される言葉になった。そしてその影で多くの「英語苦手」が産み出されることも現実。

2021年の教育

 コロナ禍の休校などで、ネット環境やパソコン・IT環境やそれに長けている人の有無による地域格差や学校格差が思い切り表面化した。それと同時に2021年1月に行われた初めての大学入学共通テストでは英語が大幅に難化し話題を呼んだ。「使える英語力を」とトップダウンで入試を変えたのは一つの方法だったのかも知れないけれど、小学校から高校までの現場はそれに付いていけない場が多く、結局それを満たすには今後情報更新の早い塾や民間の英語教室に委ねられていくことだろう。2021年の英検の値上げも、「英語格差」を意図的に広げようとしているのかと思わせる程の勢いで進んでいる。

その先は大丈夫?

 更に読み進めたので、また感じたことをば。
アメリカの「今の」教育は確かに魅力的だ。脳科学やいろいろに基づいて研究し尽くされた教育。生徒と一緒に答えを見つける感じは教育者としてはたまらなくゾクゾクする。
 そこでふと思った。紹介されている素敵な例は、特例が多いということ。もちろん「ここではこれに特化して」と取り上げるからみんなそこから新たに学べるのだが、今日本で始まっているのは同じ様なこと。ここでは新たな何かを始めて、あの学校ではこうらしい。数年前に日本でも分刻みにスケジュールをこなす幼稚園が流行って人が殺到した。順番待ちもかなり出たと聞いていたが、今はそうでもない。
 私たちが子どものためにより良い学び場を選んでいくことは良いことだ、とつい最近まで思っていたが。ふと思った。やっぱり親。

 親の思いが届かない子たちはどうするんだろう。そして、誰にも選ばれなくなった学校はどうなっていくのだろう。素晴らしい学校が出来る反面、どうしようもなくなっていく教育現場が出来てしまうとすると、その格差の大きさにはどうなるんだろう。


続きはまた書く。

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