就活と自分の幸せ〜キラキラした自分になりたかった私〜

コロナで不況、就活氷河期がくる。

そんな誰が言い出したかもわからないことに不安を感じ、私の就職活動は4月からスタートした。

「まあ最初は合説か〜」と思いながら合説を受けた。案の定知っている企業にしか注目がいかないので、某菓子メーカーだとか某旅行会社だとか、そういうところばかりの説明を聞いていた。

人事たちはすごくキラキラして見えた。見た目も綺麗で生き生きとしてて、「自分の会社が好き!仕事が好き!」という印象しかなかった。

そんな様子を見てたら「大企業行って、皆が知ってる会社で仕事して、給料もたくさん貰いたいな〜 名前の知らん企業は倒産とか怖いし、大手なら社会信用も高いし〜キラキラだし〜」と漠然に思うようになった。知らないけど多くの学生が陥る思考なのだろうなと思った、知らんけど。

そして合説を数回参加しながら某就活団体に参加し、先輩の話を聞きながら、世の中にはベンチャーという生き方も存在することを学んだ。

ベンチャーの説明会や人事の方のお話を聞いていると、大手企業とはまた違ったキラキラさがあった。企業として、というより自分が何をしたいかをより明確に持っている人が多い印象を受けた。

これは一個人の捉え方であるし、本当に側面だけみただけの薄っぺらな感想である。大手がこう、ベンチャーがこうというわけではないのは重々承知しているが、そういう傾向があるのかなと思った。

だからベンチャーもいいのでは?という考えも浮かんだが、そこまで仕事ばかりしたくないな〜と思ったので刺さらなかった。けれど、ただ能動的に仕事をこなすのではなく、こうしてキラキラした大人になりたいなと思った。

そして6月頃になるとインターン情報が解禁された。張り切って就活サイトでプレエントリーを30社近くしたが、結果的にエントリーできたのはその3分の1にも満たなかった。

何故かと言えば、所謂「お祈りメール」に病んだからである。

某就活団体を通して合同ESなどを提出したり、よくわからんけど凄そうなメガベンチャーに最初にESを出したら、まあ案の定通らなかった。

今思えばまあそりゃ通らんやろ、と思う内容だったしインターン選考は本選考より難易度高いと言われてる中で、ES準備も足りてなかった私が通るわけもなかった。志望度もそこまでないし。

しかしどこか自分の学歴とか頭の良さに自信を抱いていた私には割とショックだった。

自分に自信を持てない私にとって唯一自信が持てるのが勉強だった。勉強が出来ればよりよい高校に行けたし、行きたい大学の幅も広がった。勉強は自分の可能性を広くしてくれたし、周囲からも認められた。「〇〇は頭いいから!」「〇〇高校はすごい」みたいに頭の良さを褒められてきた私にとって自分のアイデンティティとして勉強がかなりの存在を占めていたのである。

勉強ができれば社会でより上にいける、ゆとりのある、幸せで華やかな生活ができると思っていたのだ。実際、大学入学までは勉強で何とかなったし、行きたかった大学に行けた。順風満帆だと思った。

だから今まで勉強が”できた“私にとって、こうした一種の選抜形式で通らなかったことが、想像以上にメンタルにきた。

自分の国語力はある方だとそれまで自負していた私が、書類選考で落とされるなんて。私よりできる人がたくさんいるなんて。

自分が勉強ができる=できる人間だとどこか思っていた私はこのとき「もしかして自分はできない人間なのではないか」と思うようになった。

ちょっと話は外れるが、入りたくて入った大学のはずなのに、もっと偏差値上の大学を目指すべきだったのではないかと考えてしまうまでになった。

そしたらどんどん自信がなくなってしまった。自分の能力を晒すのが怖くなった。

その後も数社受けたが、どれも落ちた。ESだけではなく、webテストも撃沈した私はいよいよ自分に能力のない人間だと考えるようになった。

「もしESを出してまた落ちたらどうしよう」「一社も通らなかったらどうしよう」「就職できるのかな」

そんな風に考えてたら就活に対する気持ちがどんどん遠ざかり、またちょっと早めに始めてたから今休んでも平気だろうという甘えからどこにもESが出せずにサマーインターンの応募時期が終わった。

そして周りがサマーインターンで奮闘しているのをTwitterとかで横目に見ながら、ESやGDが通った人たちを「ふーん」と思いながら劣等感を抱いたりなんだりした。

そりゃ応募してない私が通るわけもないのに。

この頃丁度体調も崩したのも重なったりして、一人でいる時間が増えて自分の将来について考えることが増えた。

やはりキラキラした生活に憧れがあり、自分が「できる人間」でありたかった私は、都内で働くバリキャリになりたいと考えた。

バリキャリになって、都内のタワマン住むカッコイイヒール鳴らしたオンナに憧れた。それがなりたい自分だと思った。説明会で出会うようなキラキラした大人になりたかった。ここまで勉強を頑張ってきた自分に諦めたくなかった。

しかし同時に自分がそこまで都内で暮らすことに落ち着きを感じないだろうなということも知っていた。田んぼに囲まれ川遊びで育った私にとって落ち着く場所はやっぱり田園風景で、けしてビルの立ち並ぶ都内ではなかった。

むしろ人混みの駅は苦手だし(得意な人はいないと思うが)できれば行きたくない。


「なりたい自分」と「ありのままの自分」のギャップに気づき、悩んだ。

それでもやはりそのときは「なりたい自分」を捨てたくねえ!かっこよく生きてぇ!今の自分を変えてなりたい!と思った。



けれどある人に「都会は向いてないと思う」と言われたことによって今までの考えが一変した。

詳細は省くが、都内でバリキャリは性格的に向いていないと思うというようなことを言われた。

最初はその人にできないと思われてるからそんなこと言われるのだ、悔しい、自分の可能性を否定されたと思った。あとそんなこと知っとるわ!とも思った。

でも自分でも思っていた「向いていない」という部分をつかれて痛かった。

そしてまた自信をなくした。バリキャリにもなれん、能力もない、自分はゴミかと思った。(凹みやすい気質であるので落ちるととことん落ちる)

他の人からはどう見えるのだろうと気になって、家族や友人などに私は田舎と都会どっちが向いてるのかを聞きまくった。結果親しい人たちからはあまり都会は向いていないのではないかと言われた。

自分でも思っていた「適性のなさ」は周りから見ても正しかった。

これにもまた凹んだが、相談の中でかけてくれた言葉がそれを救ってくれた。

「バリバリ働いてお金をたくさん貰うことだけが幸せじゃない」「今までの学歴は自信としてとっておいて、これからのことはまた別で考えればいい」

「自分は大切な人のために生きたい」

「あなたなら田舎だろうが都会だろうが、悩みながらも自分らしくやってけるよ」

こうした言葉から、自分の本当の幸せとは何だろう?何のために生きたいのだろう?と考えるようになった。

学歴とか社会的地位とかバリキャリに拘っていたけど、それは本当に私の幸せなのだろうか?家族や大切な人といて、落ち着ける場所で暮らせることが私の幸せなのではないか?こうした言葉をくれる人を大切にすることが、本当の幸せなのではたいか?

キラキラしている大人たちはきっと自分のやりたいことをしていて幸せだからキラキラして見える。けどその幸せって、確かに都内でバリバリ働いてお金を稼ぐことだけではないのでないか?

そういうことが幸せな人もいるし、田舎で農業をすることが幸せな人もいる。けして答えは1つじゃないし、大手企業や都内で働くことが「正解」ではないことに気づき始めた。

人にはそれぞれの幸せの形がある。

そう考えられたとき、学歴、勉強に拘りを持ち続ける私を捨てようと決意できた。

就活で「エリート」になって選ばれに行くのではなく、自分の幸せを大切にできる就職選びを真剣にしようと思うようになった。自分の人生だから見栄を張るのではなく、幸せだと思える生活ができる環境を探したいと思った。それが自分にとってのキラキラだと考えた。

バリキャリになりたい自分を諦めた、のではなく、なりたい自分が何かを再考した結果がバリキャリではないのかもしれない、ということだった。

バリキャリ、とだけでやりたいことも漠然としていたが、こうしたやり取りを通して人が落ち着ける場所とか、幸せになれる場所を創れる仕事がしたいという方向性も見つけることができた。

紆余曲折をしまくる私なのでこれからもしかしたらやりたいことも考えも180度変わるかもしれない。

まだまだ考えもまとまらないことも多いし、たくさん準備も必要である。

でもその時にもいつの時にも「自分の幸せ」を、周りの人の有り難さを見失わずに生きたいと思う。




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