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団地で外遊び

幼少期、30棟以上建っていた団地の
真ん中辺りに住んでいた。

要所要所に大きさの異なる公園があった。自分の棟の近くには、どちらかというと小さな公園。

滑り台、ブランコ、雲梯、砂場。
砂場には、高さの異なるコンクリート製のステップ?が、何個かあった。
ただただ乗って、降りて、ステップ間を飛んで…という物体。

砂場遊びスペースとは別に、そのコンクリート製飛び石!は、建っていたのだけれど。今は、危ないから即撤去対象になると思われる。

30棟以上の団地の真ん中辺りに、大きな石造りの滑り台があった。
いつも子ども達が大勢いたから、人気の滑り台だったと思う。
子ども心に、結構な大きさを感じていたけど、やはり、子ども同士ぶつかってしまう事もあった。

この滑り台だけではなく遊びの中で、怪我をしていた子どもが割りといた。危険な場面も少なからず。

昭和の公園遊具が姿を消して行ったのも無理も無い話しなのかも。
だが危険を学ぶ点で、その遊具達は
存在価値があったのではないかな。

大滑り台の少し離れた対面に広場があった。
正月は、凧揚げで混み合っていた。
夏休みの夜には、屋外映画が実施された。何を観たか?忘れてしまったが。
映画館に行った事があったのか?という頃だったので、これが映画というものか!と、夏の夜空の下の上映会を楽しんだ。
ローラースケートが流行った時には、広場で練習した。ただコンクリートの地面は、ところどころボコボコで滑りにくく転びやすかった。

大体の団地前には芝生が敷き詰めてあり、駆け回り、寝転がり、ままごとをし。
雪が降った時には、雪だるま、かまくらの様なものまで!近所の高学年・低学年混ざって作った。

鬼ごっこ、だるまさんが転んだ、
はないちもんめ、人工衛星飛ーんだ。後の二つは、世代に寄っては分からない遊びかもしれない。

団地前の道路では、三角ベース野球も出来た。蝋石で道一杯に絵を描いたり、けんけんパーの図を書き遊んだ。

マンモス団地は、遊び場に事欠かなかったし、大人がの目が届きやすかった。子どもの外遊びにベストな環境だった。





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