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偉大なんだろうな、ガンジス川(インド)

ガンジス川沿いの街のひとつバラナシ(Varanasi)は、ヒンドゥー教の聖地である。ヒンドゥー教徒にとって、輪廻から解脫できるのでガンジス川で火葬されて遺灰を流すのが人生最大の幸福なのだという。
バラナシの別名は「大いなる火葬場」。

インドを訪れた日本人は旅の序盤で体調を崩す。そんな情報を見かけたが、それを運良く避けることができていた私は、宿を出て、客引きのおじさんたちを完全無視しながら、ガンジス川沿いの火葬場へ向かった。

ガンジス川沿い


ガンジス川沿いを歩くと、ガート(ghat)と呼ばれる階段狀の広場がある。たくさんの人や動物とすれ違う。
頭のてっぺんまで潛って沐浴する人、牛を沐浴させる人、ガンジス川の雄大さには目もくれず爆睡している犬、川の水で食器を洗う人、ガンジス川の雄大さには目もくれず走り回っている犬、うがいする人、洗濯する人、やっぱりガンジス川の雄大さには目もくれず歩き回っている犬。
私は表情ひとつ変えずにいたし、犬はかわいかったが、もちろん内心「ヒェーッ」とは思っていた。
どう見ても川の水は絶対汚いんだもの。

ガンジス川で食器を洗う


遠くに立ち上る煙が見えた。ガートでは休みなく火葬が行われている。火葬の様子は誰でも見ることができるが、自分はどう見ても部外者なので、なるべく気配を消して近づいた。

人々の亡骸は、鮮やかなオレンジ色の布で包まれて竹製の担架で運ばれてくる。担架は、黃色とオレンジ色の花飾りで飾られている。派手なら派手なだけ良いといった感じだ。理由は自分でもわからないが、その派手な色の布や花飾りの色が妙に目に眩しく、今でも脳裏に焼き付いている。

積み上げられた薪の上に死者を橫たえたら、用無しになった担架や布、花飾りはそこらへんに投げ捨てられる。

すると野良のヤギやヒツジがものすごい勢いでやって来て、捨てられたばかりの花飾りをムシャムシャ食べ始めた。図太い。これ作り物じゃなくて生の花なんや。

インド人はよくチャイを飲む。
「日本人は毎日寿司を食べる。」この一文は嘘だが、「インド人は毎日チャイを飲む。」おそらくこちらの一文は本当だと思う。
ガートで火葬を眺めている人たちは、たった今亡骸を燃やされている人たちの親族、通りすがりの人、暇つぶしに来た人、私のような観光客などさまざまだが、私が見たところ、特にやることがなければインド人はチャイを飲んでいる。

野良ヤギやヒツジはそこへ集まってきて、飲み殘しの紙コップ入りのチャイをぺろぺろ舐め、最後に紙コップまでいただくのだ。図太い。実際には見たことないんやけど…と思いつつ歌っていた「やぎさんゆうびん」の歌詞が事実であることを、29年生きていて初めて知る。インドで。

チャイを狙う野良ヤギ


火葬が済んだら遺灰はガンジス川に流される。少し下流に大きなザルを持って水面をザバザバやっている人がいた。多分、死者が身につけていた裝飾品をネコババしていたんだろうな。図太い。

事前にいろんな人のブログなどを読んで、バラナシの火葬場ではもっと衝撃を受けるのかな、とか、感情が揺さぶられるのだろうか、とか、人生観がひっくり返るのだろうか、と思っていたが…

自分でも驚くほど、感情が波立たなかった。
電車の乗り継ぎのタイミングが悪くて、長い時間知らない駅のベンチに座ってぼんやりと目の前の景色を眺めているときのような気持ちだった。
「自分の知っている世界とここは違うんだな」それ以下でもそれ以上でもない。

これまでたった数カ国しか訪れていないので、知ったようなことは言えない。
どこを訪れても、ただただ、「違うんだな」ということの積み重ね。「違うんだな」がどんどん増えていく。

そんな火葬場を背にして、ガンジス川をスケッチした。

ガンジス川


そのときにはもう、ガンジス川を汚いとは感じなかった。神々しく美しい川だと思った。

ガンジス川とワンちゃん

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