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vol.57『ツバメとわたし㉚~巣をどうする~』

(前回作はこちら→『ツバメとわたし㉙』

 明らかにツバメの様子が違う。毎日毎日忙しなく飛び回っていたのがウソのように、巣からほとんど動かない。これは、間違いなく巣が完成し、卵を産む準備態勢に入っている。


 さて、どうしたもんか。
 ツバメにヘビの顔がついた奇怪な巣を作らせ、わたしの好奇心は十分に満たされた。写真も何枚も撮った。激写だ。でも、ツバメの巣が完成した後のことを全く考えていなかった。イエス、ノープラン。

 すでに、産卵態勢に入っているツバメの巣を壊すなんて、さすがにできない。そんなこと考えただけでも良心が痛みまくりだ。しかも、ツバメが巣を完成させるまで、なんやかんやと関わってきた。理由は、巣を排除するため、巣作り阻止のためと、エゴでしかないひどいものだが、それにもめげず巣を作り続けたツバメの苦労と努力をわたしは誰よりも知っている。


 あろうことか、健気なツバメをかわいいと思い始めているわたしがいた。

 
 「雛が巣立つその日まで見守るか…な。」


 今まで散々巣を壊してきた。作られては壊し、作られては壊し。あの手この手を講じても、さらにその上をいくツバメ。いたちごっこに正直頭を悩ませ、大いにストレスでもあった。でも、なんだかんだとツバメと関係を持つうちに、しだいにツバメは他人ではないというような奇妙な感覚がわたしの中にうっすら芽生えだしたということも事実だ。


とりあえず、雛が巣立つまで。
とりあえず、とりあえず。


わたしの気持ちは、もやもやしていた。なぜなら、ツバメの巣反対!とガンガンに謳ってきたのにもかかわらず、その意思に背いて雛が巣立つまで見守ろうかなという気持ちに矛盾を感じるからだ。なんか、意思の弱い人みたいで負けた気がする。誰が見ているわけでもない。わたしの気持ちが始めと変わったところで、周りには何の影響もない。ただ、自分自身、気持ちが悪いのだ。


そうだ。雛が巣立った後、この巣をどうしようか考えよう。未来のビジョンがしっかりとあれば、今のこのもやもやとした気持ちも和らぐに違いない。巣をどうするかをゴールにすれば、雛が巣立つまで見守るという行為は単なる通過点にすぎない。目的達成のための手段なのだ。こう考えることで、自分の行動を全面的に肯定し正当化する。よしよし。かなり気持ちが楽になった。


さて、あの奇妙な巣をどうしてやろうか。


(つづく)

最後までお読みいただき、ありがとうございました(*'▽')
『ツバメとわたし㉛』を更新しましたので、よろしくお願いします。








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