見出し画像

一日の暮らしを描く時間の過ごし方 1/31

1/26から続いているシリーズです。
前記事はこちら⇩

今朝は起きたのが遅かったので、あまりゆったりと時間は取れそうにないが、
昨日の心地よさを追い求めるように、迷いつつ
やはりコーヒーを淹れた。

実は起きたのも遅いのに、そしてこれは朝一の作業にしたいのに、スマホを開いた途端、バイトの応募作業に没入したり、noteにスキをくれた方のページを見に行って面白くてコメントしちゃったり、もっと読んでしてしまい、更に遅くなってしまった。最悪😂 
だからスマホ嫌い。すぐスマホ触っちゃう自分も嫌い😅💔わはは。

まぁ、それなのにコーヒーを淹れたった。
昨日のメモを見返すと、一応全部済んでたことに驚いて、安堵した。いや、日を跨ってやり残してることはあるのだが、必須のことはやっていた。
一日過ごしていて、
面倒臭いて嫌いな「家事」というものをしながら、「暮らす」感覚になる瞬間があり、それがその瞬間の満足感を誘うようになった。

今朝は、一日を描く作業が、
昨日のように特別感は無く
なんてことないことになっていた。
こうして、同じことを重ねて行くと、特別だったことがなんてことないことに変わって行くんだなと思った。そうやって、自分の暮らしに当たり前に存在するようになって来るのだ、と。
特別感は新鮮で貴重で豊かで手元に置いておきたいとも思うけど、
自分の過ごしたい一コマ一コマを集めたものでなんてことない一日が出来上がるなら、こんなに豊かで満たされることはないかもしれない。
「特別が当たり前になる」これこそ、例えようのない、貴重さや豊かさが潜んでいる。
この話、およそ四半世紀前、親友の結婚式でスピーチしたな。笑。同じこと言ってんだ、私。

トイレ掃除も当たり前になって来た。
これも、そうなって行くのかな?
「当たり前」は、自分で作って行けるんだ。
世間の当たり前じゃない、自分の望む当たり前。
それも、いつだって変えていい。
私達は、生きているのだから。
生きているのは、変化することだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?