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私を辿る①産道〜紹介と思いの機織り〜

🌙1972年 沖縄本土復帰の年 
10月 愛知県刈谷市で生まれる
同じ産道を兄と姉が先に通過していたので、私は生まれ易かったと思う。
名前は奈美。まぁまぁ8割くらい気に入っている。姉も○美だから、似たような名前を適当に付けたんだろうと思っている。でもそれで良かった。こんな子になりますように…なんて、人生の始まりに価値観を押し付けられたら溜まったもんじゃない。📢≪私は、まっさらに世界を始めたかった!
大人になって、“奈”が [大きく] [示す]で成り立ってることに気付き、いいじゃんと思った。

🌙3才 一番古い記憶
気付いたら、バレエを習っていた。これも姉の影響。やりたくてやってたわけじゃない。でもなぜか高校卒業まで続く。
私立のキリスト教系の幼稚園に車で通う、というお嬢様のようなこと。当時決して裕福ではなかったけど、両親は工場の経営者であった。
背が小っちゃくて、一番前。これは人生ずっと。
劇でも小人役。
🌙引き続き幼稚園
左利きを右利きに直したらしい、記憶になし。
ドッジボールが怖かった。逃げる様を先生に皆の前で笑われ傷付いた。今でもドッジボールは大嫌い。
あんなひどいスポーツが、なんであるんですか?!人にボールぶつけるなんて!
卒園式で「送ることば」を代表で読んだ。なぜ私が選ばれたんだろう?
紐の結び方を教えてくれた男の子を好きになった。後に高校で再会、そのことを話したかったけど恥ずかしくてできず。
幼稚園はみんな、自転車での送迎がほとんど、なぜ私は車?いつしか私はそれを羨むようになった…お母さんの背中のすぐ後ろに座れるなんて!母に「自転車で迎えに来て」と何度も懇願し、一度だけ、来てくれた。自転車用の幼児イスは他の皆みたいに無かったけど、お母さんは、荷台にタオルをグルグル巻きにして来てくれた。とても嬉しかった!


この幼稚園通いが、私の人生における「時間との戦い」の出発点。毎朝、幼稚園に遅刻。9時から始まるのに、車中で「9時だ〜!9時だ〜なも〜!」って、ラジオのシンマちゃんが叫び出す。そして、幼稚園では皆がホールに集まってる中、コソコソ暗い教室へ入りスモックに着替え、やっとホールへ。
送迎は母。母に別段遅刻の理由など無い。単に時間にルーズである。もちろんお迎えも遅い。この先のバレエ、その他の送迎も同じ。
お迎えを一人ポツンと待つことは日常。
そのせいか、私も時間にルーズに育ってしまう…😅

出典…ではない

🌙その他幼少期
父の工場の前が田んぼで、春になるとレンゲ畑になり、姉たちと首飾りを作ったりよく遊んだ。私の原風景。その田んぼが、ある日駐車場になってしまい、ショックを受ける。今でも恨んでいる。トヨタ織機め!
姉の友達の輪によくくっついて遊んでもらった。「なみちゃん、とうふね」って。(とうふ=鬼にならない)嬉しいような、自分の幼さとの距離を感じ、どっか寂しかったよね。
工場と、寝泊まりする家との、不思議な移動生活。
結構な人見知り、親の後ろに隠れていた。
お腹を壊しやすく、よく腹巻きしてた。
果物ナイフでソーセージを切った後、ナイフをカバーにしまう時に親指を深く切る。大人たちが大騒ぎしてくれたことは、幸せだったかもしれない。幸い、ギリ縫わずに済んだが、その傷は今もはっきり残っている。身元不明や犯罪を犯したら、この傷が証拠になるかも。

🌙小学生
入学当時「ランドセルが歩いてる」と言われた。
3年生 背の高い先生に「いつか大きくなるよ」と言われた。
6年生 ブラスバンド部で「トロンボーンと背が同じ」と先輩に笑われた。
組体操で背が低い為あぶれ、男子と組まされ、辛い心の涙。
バレエでも、小さいことへの先生の言動に傷付く日々。先生だって小さいのに!
牛乳は好きで瓶の一気飲みとかしてたけど、効果無かったね(笑)

母が仕事で忙しくしてることで、寂しい思いをたくさんした。ピアノの発表会に来てもらえないこと。
バレエの発表会は準備に親が必須なのに、叔母さんが代わりに来たこと…

習い事。バレエ、ピアノ、そろばん、英語劇。やっぱお金あったのかな?一つも自分がやりたくてやってた物は無い。そろばんは嫌ではなかった。
どれも、母が忙しいからと、先生や友達のお母さんが帰りに送ってくれることが多かったが、人見知りだから、とても嫌だった。
特にバレエは途中から毎回で、私は先生と二人きりの車で、ほぼ一言も喋らなかった。苦痛の時間。「お願いします」と「ありがとうございました」だけは頑張って言った。

なんだか暗そうだが😅 やはりニガいことはよく覚えているもので…

背の低さも、意外とコンプレックスではない。
寂しさもそれほど日常まで及んでいない。
そして、「ゲラ」と呼ばれるほど、バカ笑いの笑い上戸だった! 変な歩き方、泥棒の真似とか、人が笑ってくれること大好き。
歌が好きだった。今も。どんぐり音楽会(テレビ番組)に出たかった!
姉と大量のぬいぐるみでごっこ遊びをめちゃくちゃやってた。キャラ設定てんこ盛りで、楽しかった。
肉ばかり食べ、野菜・魚食べず。
球技が苦手、マット運動が好き。
テレビっ子。夏休みはずっとテレビ。宿題は最後の日に泣きながら…が、高校まで恒例。
テレビドラマの影響で、自分を犠牲にすることを美しいと感じ、そうなりたいと思う。
3年生 ふくらはぎが太いと気にし始める。
4年生 ブラスバンド部(毎朝遅刻!)、運命の親友mmとの交流が始まる♡
6年生 声優という職業を知り、夢となる。お芝居とか興味は無かったが、夢を与える仕事だと感じて。

幼少期からずっと姉の後を追い、真似をしていたと思う。姉が私を鬱陶しく感じて先へ行ってしまう時は、寂しくて心細かった。お姉ちゃん、大好きだったんだな!

そして、引っ掛かって来たのはこれだ。
母の2才からの体験記を事ある毎に聞かされ、母を崇めるように?…な感覚と、何かっちゅうと「感謝しなさい」をよく言われて育った。「感謝」はずっと母の口癖だ。

同じく

最後に、習い事について。
バレエ、ピアノ、そろばんは後に役に立ったから、親の意思だけでやらせるのも良いとは思う。でもその塩梅は悩ましい…今の子達は、習い事やらせ過ぎに見え、忙しくて、私は勝手に辛くなっている。
(私は今、子供たち相手に、ある講師をしていて感じます)

続く

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