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「すごい」とは? 〜すごいと思われたい〜

私、「すごい」って思われたかった…
ナミはすごいね、そんなふうに考えるんだ、そんなふうに感じるんだ、そんなこと思うんだ、そんな見方をするんだ、そんなことするんだ、、 、

そんなふうに自分への特別視を求めるようになったのは、今振り返ってみると、大学生になってからだと思う。別の言い方をすれば、親元を離れ一人暮らしを始めてから、または演劇を始めてから、なのかもしれない。人生というものを、幸せというものを、なんだか哲学的に考えるようになった頃なのだと思う。
演劇部で一人一人コメントする時、物事の当たり前に目を向け、その本質について語ることを、すごいと思われたかった。そういうことを格好よく語る先輩をすごいと思ったし憧れたし羨ましかったし、悔しかった。
大学を出て劇団に入った時、語る場面なんて無く、演技ですごいと思われたかった。役なんて簡単にもらえない限られた小さなチャンスや小さな役の中で、すごいと思われたかった。私は一味違うんだぞと見せ付けたかった。その割に、努力は怠った。出たとこ勝負な甘い、ナメくさった奴。

子どもが幼稚園に入って、保護者会で一人ずつコメントする時、いい程度にウケたかった。面白いと思われたかった。いい感じに話せたり、全然つまんない時もあった。面白い他のお母さんにヤキモチを焼いた。それは、三人の子供が育ち、保護者会というものが無くなるまで続いた。いつしか保護者会は苦痛になっていた。

大きな決断をする時…
・単身赴任をする時
・別居するとき
・離婚するとき
そんな決断をして、行動をして、すごいと思われたかった。
無職のまま離婚し、職に就いても職を転々と変え、子供を三人も抱えそんなに職を変える勇気をすごいと思われたかった。面白いと思われたかった。
やっとそろばんの職に就き、そろばんの先生としても、すごいと思われたかった。それは技術の無い私には、何の根拠もなく、ただ精一杯の真心を込めてやるだけだった。それだけで、すごいと思われるような気がしていた。私には誰にも負けないほどの愛があるのを知っていたから。
そろばんの講師会では、みんなおとなしい中、一人で質問をいくつもした。すごいと思われたかったけど、場に浮いているのも感じた。

起業を目指すことにした。
それを友人たちに話し、すごいと思われたかった。
起業コンサルをお願いした柳川さんにさえ、竹内さんてこんなこと考えてるんだ…と、すごいと思われたかった。
起業コンサルをお願いするのに、大金を子供のお金から借金してまで払った思い切りの良さを、すごいと思われたかった。

意見や感想を述べる場がある度に、すごいと思われたかった。

オープン・ダイアローグの勉強会の時も。でも、他の人の意見に関心し、羨んだり落ち込んだり、それを流したりして来た。

移住することにした。
それも、すごいと思われたかった。
仕事を辞めて。家族と離れ。子供を元夫に頼み。一人で。縁もゆかりもない土地へ。遠くへ。離島へ。
どれもこれも、すごいと思われたかった。

移住は、実際、何人もの人に「すごい」と言われた。すごいと言われ、確かに嬉しかったけど、少し得意になったけど、思ったほど大して嬉しくないことを感じた。
なんだろう?そんなに嬉しくない。

移住に関して言えば、「すごい」と言われた時には、すでに自分はその流れる現実の中にいた。もう、現実なのだ。
「嬉しくない」というのは、「嬉しいを否定するもの」ではなく、「あ、そう?」という程度だということ。
夢に見たり目指している時なら「すごく見える」んだけど、現実になっていたからね。

もう一つ、
移住しようとして動いていると、先に移住している人達を知ることになるんだよね…そうすると、自分は後発だから、全くすごく見えないんだよね。

起業も同じで、起業しようとして動き始めると、すでに起業してる人達が有り余るほど溢れんばかりに居ることを知って、途方に暮れるんだよね。笑

「すごい」とは、どういう時に言うのかな?と思うと、
自分にはできそうにないこと、かな?と思います。
だから、その中に入ってしまったら、他の人からすごいと言われても、それほどピンと来ない。

これって、すごいと思われたいってずっと思って来たけど、ただ、自分がやるかやらないかの問題だけだなと思ったわけです。
やりたいと思ったことをやるかやらないか。
思ったことを言うか言わないか。
言ったら、すごいと思われるかもしれないし、思われないかもしれない。でも、そこは問題じゃない…自分が何を感じて何を思ったかが、全てなんだと。すごいと思われるとしたら、その人の中には無かったことをたまたま私が言ったから…ただそれだけ。

もう私は、すごいと思われたいという気持ちを手放したいと思います。

ただ、正直であれ。素直であれ。まんまであれ。

そうしたらきっと、
自分の中に無いものを持ってる人を
もっと素直に、羨ましいとか悔しいとかなしに、真っ直ぐ「すごい」って思えるような気がします。

思わぬ人が「すごいね」と言ってくれたこと、
あれ?この人は「すごい」と言わないんだ…
こういう二人がいてね、この反応が、私に良い刺激をくれたなと思っています。

どうもありがとう。

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