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言葉のすれ違い〜同じ言語だからこそ〜

私から見ると、15才の息子の言語感覚は狭い。言葉の持つ意味をとても限定的に捉えているようだ。
…と、
私の方が正しく息子の方がズレていると見えているが、
相手から見れば逆だろう。
相手だけじゃない、すべての人と自分との言語感覚は、きっと多少なりとも相違があるに違いない。

だから、言葉ですれ違う。
そんなつもりはないのに、予期せぬところを突っつかれ、驚く、訂正する、怒ってるように伝わる、、こじれる。
息子と、こんなことがよくある。
お互いに思い合っているのに…

遠い知人の国際結婚のカップルを思う。
英語とナバホ語が母国語の男性と日本人の女性。
お二人の共通語は英語だ。
こういう場合は、言葉のすれ違いって、どんな感じなんだろう?在るのだろうか?
想像だけど、元の言葉が違うから、違って当たり前、伝わらなくてもおかしくない…という前提があるから、喧嘩のようなモヤモヤな雰囲気にはならないんじゃないかな?

同じ言語だと、伝わって当たり前なところがあるから、なんか謙虚じゃないっていうか、なんで分かんないの!ってなっちゃう気がする。伝わらないと妙にがっかりする。
怒ってるつもりじゃないけど、確かに怒ってるみたいに強めになっちゃう。

今日、息子に「いつもそういう感じになる」と指摘されました😨

もっと、あ、伝わらないんだな…とか、、あ、そういうふうに受け取るんだ、とか、そこ気になるんだ、とか、、発見として、落ち着いて自分の中で処理できれば良いのになと思う。

人と自分は違うことを確認する作業。

違うから本音を出す。
本音を出せば違いを分かる。

ぶつかることは、恐いことじゃないね。

自分の言葉を尽くそう。
伝わらないこともあって当たり前。
驚くことなかれ。責めることなかれ。

自分の言葉を 流れるように使おう。
それで、いいと思う。

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