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そんな簡単なこと・・・ ー1+1=0

初めて、
目の不自由な白杖の方に声をかけた。
前に一度、同じ場所で、声をかけるのをやめて悔やんだことがあったから。
同じ場所とは、駅のホームの階段から改札までの間だ。
階段は、一人で上手に上がってらっしゃって、手伝う隙も無さそうだった。周りの人達もその方を避けて昇っていたので、十分なスペースもあった。私は階段の途中から、さり気なくその方の隣を歩いた。
階段を昇り切ると、その方は一気に進み辛そうになった。目の前を往来する人の多いこと。
その時「よろしければお手伝いしますよ」と隣から声をかけた。その女性は、すぐに喜んでくれた…「ここが難関なんですよ」と。なるほど…。
私は女性の腕を持とうとしてしまったが、女性は「腕を組ませてください」と、ご自分が私の腕に手を通すことを望んだ…そうだ、そういう光景を見たことがあるぞ…と、少しゴメンナサイと思った。
女性とゆっくり、途中で人にぶつかりそうになると止まったりしながら。
距離にして…5mくらい? 一緒に歩いた。
改札を私が先に通り、その後ろを女性が通り終わると、私達は別れた。

あぁ…よかった。
今回は助けることができた。声をかけてよかった。私はもう、いわゆる人に親切にすることに、躊躇したくなかった。たとえ迷惑がられても、自分の気持ちに素直に動きたいと思っていて、それを実行することができた。

今日書きたいのは、その行動の話ではない。
それでいいじゃん、ということだ。

目が見えない人がいて、目が見える人がいて、
見える人が見えない人の分、見てあげる。
できない人、できる人がいて、
できない人のできない事は、できる人がすればいいじゃん。
それだけじゃん。
なんで、
そんなにいろんなこと、できることを求められるの?できるように、躍起にならなきゃいけないの?
できるようになりたいことは、できるように頑張ればいい。
でも、できないのが悪いことのように見なされることはないよね?

私がいつも思うのは、できないことにも価値がある、ということ。「できない」という能力。「できない」ということができている。できないからこその、見え方や豊かさがあるはずなのだ。
みんなが、できることをすればいい。
できないことが、もっと当たり前でいい。
世の中が「できる」にフォーカスし過ぎだと思う。
ただ、みんなで協力するだけ。
ー1+1=0
こうしてフラットになる。
そんな簡単なこと。

やりたいことは挑戦しよう。
でもそれは、本当にやりたいこと?
できないことは、あなたの一つの個性だよ。

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